社会の家畜の人間
中1 たくみ(nomutaku)
2026年9月1日
私は20年ほど前から、人間は自らを飼育し、家畜化ーー自己家畜化をしていると述べ続けている。人類学の教科書には、こうした説明がのせられているものがある。比喩としていえば、現代の青年や子供は、座敷犬と類似している。僕は、家畜化は最低限必要だと思う。
第一の理由として、規則正しく動くと、一日が有効活用できるからだ。たとえば、中学校の場合、僕の学校だと、ちゃんと時間ごとに授業をやって、昼休みになったら遊ぶみたいな形だ。これがあるからこそ計画的に中学生が勉強することができる。もしこれがないと、黒板に落書きをしたり、ガラスを平気で割ったりという問題児が続出してしまう。きちんと時間を有効活用しているからこそ、しっかり勉強ができるのだ。また、小学校と中学校でも、遊びの割り当てが、小学校だと学年別に厳格に分けられているが、中学校は具体的な割り当てはなく、誰でも校庭に出ていいという形だ。これは、ちょっと違うが、多分物理的な生徒数が多いからだろう。学年は、小学校が6つで、中学校が3つだ。学年の数が違うと、生徒の数も違うので、割り当てが変わってくるのだ。まるで、会社のようにしっかり先生が仕切って生徒が動くことが大事なのだ。
第二の理由として、みんなが自由に動くと、政治家、銀行員などがまひすると、日本中がまひする。日本銀行を上げてみよう。日本銀行は、株価、初見取引など、日本インフラを支える土台を作っている。これが自由だと、物価が上がってしまう。さらに、国民が不便になってしまう。それだと、一大事が起きてしまう。日本の物価全体の危機になってしまう。物価が上がり、外国人が増えて、株価は大暴落。国民が怒り狂ったりする。結果、自由はダメと分かってしまうのだ。このように、政治、金銭関連の人までが自由気ままに動いてしまうと、元も子もない。日本のために動いているので、それが止まってしまうだけでも、日本中の国民は何をすればいいのかすらわからなくなってしまい、地震が起きても葛西が起きても避難しなくなってしまう。まるでロボットみたいになっているので、動かなくなってしまうので、自由はまずいのだ。
たしかに、自由に動けばいいという人もいるかもしれない。しかし、自由過ぎても行けない。自由過ぎると、健康、政治、金銭など、重要なことが、支配者のような人がいないため、だめになってしまう。そのため、人間はある程度自己家畜かというのが必要なのだ。「人間は、社会的動物である。」という名言がある。たしかに、人間は社会に左右される動物だ。なので、その社会についてくためにも、管理者や支配者が必要なのだ。そのようにして、社会を生きていかなければいけない。