自然の奏者
高2 あかれり(akareri)
2026年9月1日
森の本当の美しさは、聴覚、嗅覚、触覚など五感のすべてが解放されてこそ初めて見えてくる。五感のすべてを解放し、全身で森と対話したとき初めて森は私を受け入れてくれる。多様な木々、草花、虫たち 動物たち、風、匂い、光など全てが深く関わり合って一つの大きな生命体として生きている 森。すべての生命がそれぞれ役割を担いながら共に1つの生命のシンフォニーを奏でている。もし森が奏でるシンフォニーが聞きたいのならその森の一員として隅っこにでも加えてもらわなければならない。 私は自然の中の一員であるという自覚を持って生きていきたい。
そのための方法は第一に、全てのものが助け合って生きていることに気づくことだ。私たち人間が不快に感じる生物は数多く存在する。例えば蜂やムカデのように直接的に私たちを刺激してくるものから、ゴキブリのように見るだけで不快感を感じてしまう生物もいる。私が毎日通っていた通学路でも蜂や車に引かれた虫の死骸を見かけるたびにただ不快感を感じていた。しかし、一見私たちにとって無益や害のある生物も土壌の浄化をしたり他の生物の生きる糧となったり、食物連鎖や地球という大きな生態系の中で大きな役割を果たしている。どんなに小さい生物でもシンフォニーの奏者なのだ。
また第二の方法としては、地球も一つの命として大切に守ろうとすることだ。近年大きな問題となっている地球温暖化。私たちはエアコンの効いた涼しい部屋で「今日も地球に優しい暮らしをしよう」などと呑気に呟きがちだが、いざ外に出れば照りつける猛暑に眉をひそめ、蚊を一匹叩き潰しては自然との調和を忘れてしまうのが現実だ。口先だけの環境保護がいかに滑稽であるかを痛感させられる。 レイチェル・カーソンは、豊かな自然の美しさに感動する「神秘さや不思議さに目をみはる感性」の大切さを訴えた。彼女は農薬による環境破壊に警鐘を鳴らす一方で、ただ知識として自然を保護するのではなく、子どもに戻ったような純粋な驚きをもって地球を愛することこそが、真の保護につながると考えた。私たちも地球を単なる資源や住処としてではなく、共に生きるかけがえのない生命体として愛おしむ感性を取り戻さなければならない。
確かに、現代社会を生きる私たちが経済活動や利便性を完全に捨て去り、太古の昔のように自然と一体化して暮らすことは現実的ではないという意見もあるだろう。害虫を一切駆除せずに生活することや、エネルギー資源をまったく使わずに生きることは、現代の人間社会においては不可能ですらある。 しかし、フランスの思想家ルソーが「自然に帰れ」と説いたように、大切なのは文明を完全に拒絶することではなく、人間の傲慢さを捨て、自然の秩序や大きな生命の巡りの中に自らを位置づけ直すことだ。私たちが五感を研ぎ澄まし、不快に思える小さな命の役割にも思いを馳せるとき、森の奏でるシンフォニーは静かに響き始める。私はこれからも自然の中の一員であるという謙虚な自覚を胸に、この美しい地球というステージで自らの役割を果たしながら生きていきたい。