視覚系は

   中2 はななは(hananaha)  2026年9月1日

 視覚系は光を介して物の形を認知する。形は物の属性だという。物は見てなくても触ってみれば、ある程度形がわかる。それは物が本来形をもつからである。目は大変有効な感覚器だが、モノの大きさの絶対値がわからない。そのため人の世ではモノサシを売っている。「相似」を考えることができるのは、本来視覚系にそういう性質が存在するからであろう。また、脳の一部がやっていることを脳のどこかの部分が良く知っている、ということかもしれないのだ。

 相対的ということは私たちにとって便利なことだ。例えば、同じ商品でも違うお店では値段が違うことがあるだろう。私は、お金があったらすぐ使ってしまう癖がある。だから、いつも金欠なことが多い。そのため、同じ商品も安いお店で買って、少しでも節約したい。この前家族とドンキホーテに行ったときには、私の家の近くにあるイオンで売っているよりも安い「塩分チャージ」があったりしていて、ドンキのものを親は買っていた。夏休みに友達と遊ぶのはカラオケが多かったのだが、大体のところはお盆の時期の値段が普段より高くなっていた。だから、なるべくその期間を避けて遊んだりするようにした。自分にとってお得なものを探すことが大切なのだ。

 一方で生活していく上では、絶対的なものが必要なときもある。学校の校則などもそうだ。校則は1870年~1880年代頃に、近代的な学校制度が整えられ、学校ごとに規則が定められるようになった。戦後の1970年~1980年代頃には、学校制度が大きく変わったものの、高速そのものは残り、「生活指導」の一環として細かい校則が増えたところも多いとされている。昔は、スマートフォンがなかったが、スマートフォンが使える今では、それに対する校則も多いときがある。基本的に学校では使わないという学校が多いが、それは授業に集中させるのと同じ目的だと思う。昔は、漫画などを禁止していることが多く、今はスマートフォンが禁止のところが多いようだ。昔から、根本的なところは変わっていいないのかもしれない。

 確かに、相対的なことも絶対的なことも大切である。しかし最も大切なのは、どちらかだけにするのではなく、状況に応じて使い分けることだ。「徳とは、二つの極端の中間にある。」というアリストテレスの名言があるように、その場面で何が適切なのかを判断する力が必要なのだ。値段を比べて、自分にとってより良いものを選ぶように相対的に考えることで、生活をより便利にすることができると思う。一方で、校則のような絶対的なものがあることで、安心して過ごせるのと同時に、社会のルールを再確認することにもなる。たくさんの人類が生活するこの世中で、絶対的なものが必要不可欠だ。「ルールを守ってこそ楽しい生活がおくれる」と以前先生に言われたことがあるが、必ず守るものと、それをしなくてもよいものは丁寧に見分けていきたいと思う。