自己家畜化

   中1 あおやゆ(aoyayu)  2026年9月1日

 人間は自らを自らで飼育し、馴化している。自己飼育、自己馴化である。自ら作った社会のシステムに依存して暮らしている。人間は社会システムに参加することによって社会的に食物が供給されている身なのだ。比喩として言えば、現代の青年や子供は、座敷犬と類似している。自己家畜化が、特殊な条件下で自己ペット化に至ったものといえよう。今日の社会は自分を飼い慣らすことで意思に関係なく社会に適応し、秩序を保っているが、少しやりすぎだ。自分の意志が尊重されないからテロや破壊活動などの犯罪行為が叶わない意思の発散として出てきているのだろう。しかし、基本的に自分の行動を世のため人のために抑制しているのだがら自己家畜化はある程度必要である。

 第一の理由は秩序を守ることで得られる安寧があるからである。自由だからこその危険性やどうなるかわからない不安。私は夏休みも同じことが言えると思う。学校がないため自由だが、授業で縛られていないことの不安。私のように苦手科目があってテストの成績があまり思わしくなかった生徒にとっては勉強をしてないことが罪悪感に繋がるため、居心地がいいのか悪いのかわからないほどだ。ルールに従い、疲れて帰ってくるからこそ得られる自己肯定感がある。要するに自己承認欲求ということだ。自由すぎて自分にプラスしかない世界は自分に価値を与えられない。自由じゃないからこその逆境に耐えたことで得られる強さが、昔よりも安定した現在に繋がっていると思う。

 第二の理由はある程度の決まりや基準があることで常識が作られ、文化ができるからだ。決まったルールや生活があるからこそ、それに根ざした文化が生まれる。宗教で自分を家畜化することを祈る文化や禁忌があるのもそれに近いと思う。例えば、イギリスのパブリックスクールだ。上流階級の子供は13歳で親元を離れ、全寮制のパブリックスクールに強制収容される。そこでは、極寒の部屋での生活、理不尽な上級生への服従、感情を表に出さないこと(“Stiff Upper Lip”=毅然とした態度)が絶対のルールとして叩き込まれる。この過酷なルールから、「アンダーブラウス(本音を隠した皮肉混じりのユーモア)」や、服装・話し方(発音)だけで相手の階級を瞬時に見分ける独特の社交文化が生まれた。紳士の代名詞である「どんな危機にも眉一つ動かさない冷徹なまでの冷静さ」は、この教育ルールが作った人為的なアイデンティティである。このことから決まり事があるからこそ文化が生まれることがわかる。

 確かに自由は必要だ。自由であることによる解放感がある。自由と不自由の繰り返しがあるから得られる充実感と脱力感があるだろう。しかし、「自分に打ち勝つことは全ての勝利の中で最も偉大で最初のものである」というプラトンの言葉もあるように、自分を律することは大切だ。自分を抑えられるようになることが大人になると言っても過言ではない。人に配慮し自分ではない誰かのために行動することこそ、大人だ。私もルールを守り、自分のことを後にすることができる大人になりたい。