歩み寄りの解決
高1 蜩(aeriya)
2026年9月1日
およそ隣人間でもめごとが生じた場合、多少なりとも当事者同士で話し合いがなされるものである。しかしいろいろと話し合ってみたが、争いはエスカレートするばかりで、どうしようもなくこじれた末に弁護士事務所に駆け込む場合が多い。しかし、隣人間の紛争は、当事者間の話し合いによる解決が望ましい。隣人関係はどちらか一方が引っ越さないかぎり、一生隣人同士の関係を断ち切れない間柄にあるということである。話し合いによる解決は、いつかまた従来の隣人関係を回復させる可能性を与えてくれる。私たちはこの複雑化する社会の中で個人間で揉め事が起こった場合、話し合いをすることでお互いで理解を深めて、問題解決を図っていくべきだ。
そのための第一の方法として、隣人同士、同じグループの中でも考え方が違うもの同士でも、普段からコミニュケーションを深めてお互いを理解し合える場を設けることだ。衝突が起きてから、対話を試みようとしても、お互いが自分の意見を一方的に主張するだけで、一向に話が終わらない。確かに、第三者が話を聞いて、勝手に妥協点を決めてしまうのも手段としてはある。それがお互いに納得できるものならば話は別だ。しかし一方もしくは両方に不満がある場合、それは真の解決とは言わないのではないだろうか。ここから、事前に相手と対話しておくことで、ただ自分の意見を発信するだけの泥沼の言い合いになることは少なくなるはずだ。私が中学生の時もそうだった。私は吹部で打楽器を担当していた。勿論私だけが担当している訳ではなく、同じ代の人もいれば、先輩、後輩もいる。私のパートは割と人数が多かったことに加え、それぞれ個性的でなかなか意見が合わず、最初の頃はそれだけで部活の時間が終わってしまうこともあった。しかし、時間が経つにつれお互いのことが分かり始める。そして半年経った頃には、「〇〇はこうだから、こうしたほうがいいか、、」とお互いに良い具合に意見を反映できるようになった。このように、普段から隣人同士コミニュケーションを深めてお互いを理解し合える場を設けることだ。
第二の方法は、法律やルールでは干渉できないような、人の心や社会に根付いている差異を無くす努力をするべきである。人は無意識のうちに先入観に囚われてしまう。それにハマってしまうと、他の角度から物事を見つめることが困難になってしまう。その例として身近なもので挙げられるものといえば職業だろう。具体的には挙げないが、数ある仕事の中でもその特定の仕事についてるだけで、差別の対象になってしまうのだ。「〜〜さんの仕事は◽︎◽︎だからきっと良くない人だ。」などとその人のことについて何も知らずに決めつけてしまう。これが原因で事件やトラブルが発生してしまう。法律で規制して、表面上では解決したかのように見えても、人の根本にあるイメージは取り外せない。私は、この状況をよくするには「知ること」が大切であると考える。何も知らない状態でただ決めつけるのではなく、一度差別されているものについて調べるのだ。知識が増えれば、その対象についての印象が大きく変わる。私自身、中学時代に人権作文で職業差別をテーマにしたことがある。そこでさまざまな角度から、それについて調べた。そして、その課題が始まる頃と終わる頃では調べた職業に就いてる人へのイメージが大きく変わったのだ。このように、人の心や社会に根付いている差異を無くす努力をするべきである。このように人の心や社会に根付いている差異を無くす努力をするべきである。
確かに欧米のように第三者が法に則ってさっさと白黒つけてしまう方が時間もかけず簡単に効率的に決着を付けてしまうことができる。しかし、それでは表面上では解決しているように見えても、人の心などの深い意味での解決にはなっていない。さまざまな事情が絡み合って複雑化した問題の中では「完全にあっちが悪い」と言い切れるわけではなく、白も黒もつけられない「グレー」のようなものなのだ。“本当の解決”とは、ただ機械的に決着を付けてしまうのではなく、お互いに理解し合い、納得できる状態になって初めて生まれるものなのだ。ここから私たちは何かアクシデントが起きた際に話し合いをすることでお互いで理解を深めて、問題解決を図っていくべきだ。