良いところを受け入れる
高2 あうては(auteha)
2026年9月1日
畜産物を贅沢だというのは食用作物の十分に取れる耕地を割いて、飼料作物を人工的に栽培した場合のことである。もし、家畜がそこら辺に勝手に生える食用にならない草のようなもので育つ分には肉食は少しも不経済ではない。ヨーロッパの肉食率が高かったのは日本では考えられないほど家畜飼育の容易な牧畜適地だったからである。考え方によってはヨーロッパ人の肉食率が高いのは決して彼らが恵まれていたからではない。風土的条件が彼らに穀物で満腹することを許さなかったのである。私たちが素直に他の文化の優る点を認めて取り入れないのは問題だ。
第一の原因は、私たち自身にプライドがあるからだ。自分たちの道具、行動が劣っていると認めたくない感情は誰もが持っているものだろう。それが故に、他のものの良さを素直に認め、自身の行動を改めていくというのがなかなかできにくい。例えばスポーツにおいて自分のライバルのフォームの方が効率的であったとしても、自分のプライドを捨て、素直に頭を下げて教えを乞いにいくというのは簡単にできることではない。自分のフォームが劣っているというのが客観的に明確だったとしても、それを素直に認め、ライバルに学びにいくというのは難しい。それは大きな枠でも同じことが言える。自国の技術が劣っている、自国の物が劣っているというのがどうしても受け入れられず、他国の粗探しを必死にするというのは間々見受けられる。
第二の原因は、私たちはよく知っている物、見慣れている物を好む傾向があるからだ。人間には未知のものをリスクとして捉え、よく知っているものの方を安全としてそちらを選ぼうとする性質がある。自身の体験からよく知っているものは自分に害を及ぼさないと理解しているため、そちらを好む。他にも、人間には自分が深く関わったものに高い価値を感じる性質がある。私も海外に行って、自分がまだ食べたことのない食材を使った料理が名物料理としてメニューに乗っていたとしても、自分が普段から親しんでいる方を選んでしまう。例えば、タランチュラのフライなど、もしかしたら美味しいのかもしれないが、とても挑戦する気が起きない。私は鶏の唐揚げの方を選んでしまう。このように、私たちは未知のものに対する恐怖心を本能的に持っている。
確かに、人間は今まで模倣を繰り返して進歩してきた。それは、他国の良い点を認め、自国に取り入れる操作の繰り返しだ。日本も明治維新の際、これまで慣れ親しんできた様式を一気に捨て、西洋の文物に置き換えていった。しかし、現在他国の技術、文化を素直に褒めずに粗を探して批判する意見も少なからず存在している。一生のうち、自分で生み出せるものは多くない。一方で学べる量は計り知れない。我々には成長するために自分たちのやり方を捨て、他人のやり方を取り入れる必要のある状況がなん度も訪れるだろう。