人間にとってどのような視点が必要か
()
年月日
ところで形はどこにあるのだろうか。形は物の方にある。形は物の属性だという。「無いもの」は、どうやっても「見えない」。私たちが「比例」とか「相似」を考えることができるのは本来、視覚系にそういう性質が実在するからであろう。「相似」とは、目の網膜部がやっていることを、脳のどこかの部分がよく知っているということかもしれないのである。
私は相対的に物事を見ることは必要だと思う。そうすることで目標を可視化することができるからだ。例えばテストなどが一番わかりやすい例だと思う。私はとにかく負けず嫌いでどんなものでも負けたくないという気持ちが強く、よく学校のテストの点数で友人と一喜一憂している。小テストだろうが、中間テストだろうが、期末テストだろうが関係なく点数を開示しあい負けた、勝ったと言って勝負をしている。そして、点数の開示後私たちは次の目標として、何点を取るかを言い合っている。自分たちが何の教科で何点差で負けたから次回は何点を取るぞというような形だ。お互いの点数で自分の位置を可視化することによって目標をも可視化し、自らの成長へとつなげていくことができる。だから、目標をもって成長したいとき、私達人間には相対的に物事を見ることが必要になってくると思う。
しかし、人間には絶対的なものの見方も必要だと思う。そうしなければ、周囲に流されてしまうからだ。その具体的な例として挙げられる歴史上の人物が二人あげられる。一人目はマハトマ・ガンディーだ。彼はインドの独立の父と呼ばれる人物である。その時代、インドでは「相手が武器を持つならこちらも持つべきだ」という考えが多く持たれていて、多くの人がこの意見に流されていた。しかし、その中でもカンディーは「いかなる理由があろうとも暴力は絶対的な悪である」という己の意見を変えようとしなかったのだそうだ。インドの独立をするためには多少の犠牲も必要だという理由から多くの人間がその意見に流されていく中、ガンディーだけはそれは間違っていると自分の考えを間違えだということがなかった。その結果、自ら断食をしてまでも暴力で解決することを拒み、歴史を動かすことになった。二人目として挙げられる人物は千利休だ。彼はわび茶を好む有名な茶道家だ。しかし、当時もっとも勢力の強かった武将、豊臣秀吉はわび茶よりも派手な茶会を好んでいた。そのため、お茶は派手な方がいいという考えを持つ人も増えていってしまった。大多数が敵に回ってしまったとしても千利休だけはわび茶が良いという意見を変えることがなかった。最後は切腹を申し付けられてしまうが、現代のわび茶というのがあるのは彼の揺るがない意志のおかげだと思う。
確かに相対的に物事を見ることも絶対的に物事も見ることも大切だ。しかし、最も大切なことは「人間の意志、これこそがすべてを決定する要素である」という名言のように見方ではなく最終的に人間の意志というのが最も重要になってくるのだと思う。