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   高1 蜩(aeriya)  2026年9月2日

 情報は瞬間的であって反復されず、したがって人の内面的世界において蓄積されたり、累積的に進歩したりすることはない。情報はルーマンがいうように、意外性を生命とする意外なニュースほど価値が高いものだ。いうまでもなく、意外性というのは一回限りのもので、反復され得ず蓄積され得ない。これに対して、知識は反復され、記憶され、蓄積されていくものである。私たちは自分の中に根付いているような本当の知識を作り出す方法を身に付けることだ。そのために考える方法は二つある。

 第一の方法としては、自分が興味を持った物事についての情報を得るだけでなく、その情報が本当かどうか自分で考えたり、さらに深く調べるような習慣をつけることだ。例えば、世の中には一切疑われず、信じられているような普遍的な事柄がある。それは事象や物事だけでなく、社会の中に根付いている偏見なんかもそうである。例えば、「重力」だ。物が下に落ちるという現象はこの地球上においてどうあげいても変わらない概念だ。しかし、少し地球から離れて宇宙にでてみたらどうだろう。まず、宇宙空間では落ちるという現象がないと言っても過言ではない。まず「下」を定められないのだ。このように自分の目に前では当たり前に起きている現象でも、少し見方をかえれば百八十度変わってしまうことがあるのだ。私にも、そのような体験がある。高校の授業で、自分の興味のある問について調べる「探究」の時間がある。その探究は本格的には10月辺りから始まるため、それまで、練習の時間が設けられる。私はそこで、世界の童話について調べた。童話といえば割と平和でメルヘンなイメージがあるかもしれない。しかし、調べてみるとグリム童話やアンデルセンなどは第一販はとても過激で、小さい子供が聞くと、トラウマになってしまうようなものが沢山あった。しかし、ただ怖いだけではなく、その話の中には「災害」「信頼」などの教訓が含まれていた。今では、童話や昔話の内容や描写は優しくなっており、ただの物語としか読めないが、本当は残酷で作者の伝えたいメッセージが色濃く反映されているのだ。このように、普段から疑問に思ったことを見逃さない姿勢を持つことだ。

 第二の方法としては、情報社会の利点であるすぐに多様な情報を得られる点をうまく使いこなせ、それを発展させられるような人材を作っていくことだ。今の日本の教育は公式を「そのまま当てはめれば自動的に答えが出るツール」とただ覚えるような教育になっている。「なぜこの公式はこのこた絵を導き出せるのか」を考えないまま覚えるのは危険だ。これは「暗記」であり「思考」ではないからだ。そのため、ただ公式を当てはめるだけでは、少し捻らないとその「公式」が使えないようなケースに対応するような力がつかない。私の学校では公式を教える時は少し複雑なことをする。最初に公式を紹介はするが一通り演習を終えたところで、「なぜこの公式が成り立つのか」を文字式の計算をするのだ。これを行うことで、公式への理解度が上がり、少し複雑な問題の応用がやりやすくなるのだ。実際、私は数学や物理の授業では、この過程を行ったことで家での演習がかなりやりやすかった。このように学校という場で、情報を与えるだけでなく、それを使いこなせるような教育を行うべきだ。

 確かに、情報社会の中で発生する格差が生まれないように、それに適応していく必要がある。そのためには情報を効率的に瞬時に得られるようにすることも必要だ。しかし、この情報社会で真に習得するべきことは私たちは単に次々と上から下へ流れていく増水した川に長さるのではなく、それを制御して自分のために利用できるようにすることだ。知識とは単なる情報の塊の原石の状態ではなく、そこに思考と定着いう磨きを加えた宝石なのである。ここから、私たちは自分の中に根付いているような本当の知識を作り出す方法を身に付けることだ。