黄金に輝く歌声
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噴水は飲めない水である。浴びることのできない水である。言ってみれば、何の役にも立たない物ものだ。都市住民は全てが役に立つという環境にならされているから、目の前に突如として何の役に立たない物が出現すると、それだけで文化的衝撃を受け、深く困惑する。つまり、この困惑が新たな文化を創り出すのであり、噴水はそのためのものであろう。噴水に、電気を細工したり、照明で色を付けたりするのもよくない。なぜなら噴水の真に噴水たるものを見えにくくさせる。噴水は多々水を噴き上げていればよいのである。
みなさんは「鳥獣人物戯画」というマンガをご存じだろうか。日本最古のマンガである。これは、国宝に指定されており、学校教科書にも出てくる。小学五年生の最後、書写の授業で「鳥獣人物戯画」を書いた。自分で描いた「鳥獣人物戯画」は、何の意味もないものである。百歩譲って、国宝に指定された、本物の絵巻は、存在意義や絵巻の価値があるが自分で描いた「鳥獣人物戯画」は、価値もなく、意味はないのだ。ですが、ぼくの描いた「鳥獣人物戯画」は、部屋に飾ってある。母が気に入ってくれたからだ。日本最古のマンガということは、絵から「和」というもの感じられる。「和」というものは、落ち着くことが可能なものである。本題に戻ると、部屋に飾れている「鳥獣人物戯画」は役に立たないが、部屋全体を「和」で満たしている。飾れていた「鳥獣人物戯画」がなくなると落ち着きがなくなり、良い気持ちになることがない。このような状況から役に立つことがないものでも役に立たないものなりに動いているのだと考えた。
筆者の文には、「何の役にも立たないものだ」と記されている。だが学校の教科書には、「音で『涼』を感じることができる」と記されている。噴水には、音がある。ぼくは、その音で涼を感じさせることができることから、役に立たないものは役に立たないものなりに動いていたことを感じた。
茅ヶ崎には、著名人が多数在住又は出身している。例として、山本昌広、桑田佳祐、倉本寿彦、それにアーティストの加山雄三である。二〇ニ四年に、茅ヶ崎市役所に金の銅像が竣工された。ぼくは、この銅像ができる前までの景観と違い、はじめは、前を通ると気になってしょうがなかった。ですが竣工から数か月経つと気にならなくなってくる。これは、役に立つことはないけれど、ぼくたち茅ヶ崎人が加山雄三さんを深く崇拝している表れだと感じる。
「無用の用」という言葉がある。この言葉は、噴水やマンガ、銅像のように何の役にも立たない物でも役に立たないものなりに動いているという考えに類似している。何度も言うようだが、噴水などの役に立たないものは役に立たないものなりに役目がある。