心の休憩スポット
小6 あえたし(aetasi)
2026年9月2日
現在の都市市民はすべてが役に立つ環境に慣れているので、噴水のような何も役に立たないものが出現すると文化的な衝撃を受け困惑する。この困惑が新たな文化を創り出すのであり、役に立たないものはそのためのものである。水不足のために噴水は危機に立たされているが、単に水が停められてしまうからではなく、噴水を停めなければならないと考える人々の姿勢の中に、噴水の真の存在意義を否定する傾向が芽生えるからである。ぼくがこの話を読んで一番印象に残ったのは、役立ちそうにないものでも、実は役にたつということだ。
ある日、家族で外でごはんを食べたときのことだ。いつも行かない方向へ行ってみようとなり、細い道を入っていくと、あるレストランが目にとびこんできた。「洋食レストランとらねこ」。今まで通ったこともあるが、全く気がつかなかったお店だ。ずいぶん古い店なのだろうか。入口の木のドアや看板がどれも日焼けしていた。外の壁には一面に緑のツタがまるで蛇のようにくねくねと生えていた。この店はお金がないから、外壁をきれいにすることもできないのかと思った。お店に入ってみると、中はとてもきれいで、想像していた古くてボロボロなお店のイメージとは違った。
クリームシチューやハンバーグなどを頼んだら、すごくおいしくて満足した。これほど手間がかかる料理が作れるのなら、なぜツタを刈って、レストランの外観をきれいにしないのかと疑問に思った。なぜなら、ツタを刈るのは料理を作るよりずっと時間も手間もかからないことだからだ。しかも、ツタはレストランのために働いてくれるわけでも、お金を与えてくれるものでもない。だから、ツタはレストランにとって役立つものではないはずだ。そこで、もしレストランの外壁にツタがなかったら、どうなるか考えた。きっとお客さんは、ピカピカで新しい外観に高級店だと思って、お店に入りにくくなるかもしれない。しかもツタがないと、建物が人工的で、威圧感があるのかもしれない。ツタが生えていることで、お客さんは昔からそこにあったお店だと懐かしい気持ちになったり、緑があると親しみやすい雰囲気があるのではないか。
今世界はいろいろな形でロボットが活躍しているが、世の中には「弱いロボット」もあるのだ。ロボット科学者の岡田美智男教授が提案する「弱いロボット」とは、あえて役に立たない部分を残すことで、周囲の人間の手助けを引き出すロボットのことだ。例えば、ゴミを拾えないロボットはゴミを見つけることはできるが、自分では拾えずにその場でモジモジする。それを見た人間が、つい代わりにゴミを拾ってゴミ箱に入れてあげたくなるという仕組みだ。岡田教授は、弱いロボットの存在で、人とロボットとの間にあたたかいコミュニケーションや協力関係が生まれることを狙っているのだ。ぼくは、弱いロボットはまるで自分のかわいいペットのように感じた。なぜなら、人と会話はできないけれど、コミュニケーションをとろうとしていると感じられるからだ。
役に立たないことは、必ずしも悪いことではないと分かった。日常のなかにそうした余白があるからこそ、忙しい日々のなかでもどこかホッとする親しみを感じ、一息つくことができる。それはまるで、心のための「休憩スポット」のような存在だ。