数年前、西アフリカで

   中2 あさくに(asakuni)  2026年8月3日

 要約:筆者は数年前、西アフリカで一人の盲人と共に神話収集をしていた。そこで、筆者いわく色々なことを盲人から学んだそうだ。教わったことの一つは、目の見えない方々に与えられた心の眼である。一般的に目の見える方々はその万能性に酔いしれ、重要な核心をとらえきれていないそうだ。よって、盲人たちはその暗闇でかすかに光ものを必死で心の瞳で見出そうとしているのだ。もう一つ教わったものとして、神話の重要性がある。神話の一件非

重要性、無駄な部分は実は自然との調和・共存には必要不可欠な叡智が隠されているようだ。これはどのような神話学概論にも掲載されていない、唯一無二の考え方である。「やはり、自然との共生はこれからの人類にとっては避けては通れない運命だ」と思わされた筆者であった。

まず第一に自己中心的な利益の良さは最終的に孤立できるからだ。私の二つ目の理由として構えているものと当たり前だが対をなしており、どこかで八岐大蛇の様に繋がっているとも解釈できる。エゴセントリックな夢、そしてそれを追いかけるための根性、犠牲をいとわない強い精神。これらの要素があれば、誰もが一般社会が言う、「成功」を収められる。最近私はこの世間様が言う「成功」の本質について熟考していたのだが、今のところ一つの仮説にたどり着いた。最近、前衛芸術家である草間彌生さんが8月の13日に他界されていたことを聞き、あまりにも衝撃を受けたからだ。私は岡本太郎一択ファンの様に見えるかもしれないが、実際多くの芸術家ではない方たちもインプットし、最高の調合を模索しているのだ。そして、8月の頭からは私の中で「プチ・草間彌生ブーム」があり、彼女の芸術性、哲学などを自分の時間を割いて調べていた。ある日いつも通りやるべきことを終え、自分の時間が手に入った時、ふと頭の中で音のない爆発、テレビジョンを付けた際のオシャレなイメージのようなものが映し出された。実際、私はこれに類似した経験を過去にこれを含めに会したことがあり、もう一回が若手映画監督である瀬川翔さんの「紅の空」を視たときである。草間彌生さんのことを調べ、考えているうちに、私はふとこう思った。「岡本太郎と似ていて、狂気と正気のはざまで揺れ動いてそうだな」と。この考えがグジョグジョのスライムから固まった物へと変わった瞬間、過去に調べた様々な著名人にもこの側面があるのだと気が付いた。そしてこの精神的、肉体的二刀流を活用し、人間らしいグロテスクな私利私欲にまみれた願望と混ざった瞬間、人は絶望的とも取れる状況に陥るのだと思う。それは人と自分を差別化してしまったため孤立するが、一般人が手にすることもない産物も手にするということだ。人間の精神はここまで来れるのだと断言もできないし、存在するとも言えないが、私の仮説によると全てのプロコンは自己中心的な利益の虜、奴隷になることから始まるのかもしれない。

続く