言葉の意味

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 日本人は、「見る」ということに重要な意味を与える。日本では、言葉ではなく、物理的対象物を共に見ることで社交が成り立つのだ。月見、花見、雪見といった商談的な鑑賞行為は、実は、日本文化の中でのコミュニケーションの方法である。月、雪、花は人と人を結びつける触媒なのだ。だが、私は、さっしてもらおうとせずに言葉できちんとコミュニケーションをとった方がよいと思う。

 まず最初に、最近は外国人が増えてきていたり、国内でも移動することが多くなった今、皆が違う価値観を持っていて言葉でいうことが一番簡単で、伝わりやすいからだ。例えば、神奈川県で育った母は父の仕事のために、石川県に引っ越した。そのときに、仕事や人間関係の価値観の差で母はとても苦労をしたらしい。私の母は盲学校で働いていた。その時に、一人の生徒と遠足のようなお出かけをするときに、母は、生徒に少し自立してもらえるいい機会だと思った。だが、他の先生に、専属バスを使えばいいじゃないと指摘を受けた母は、学ぶ機会を奪われたように感じて、つい言い返してしまった。ほかにも、一年生の姉が通っていた学童での発表を先生たちは子供を思ってやめようとしたが、ボスママのような人がつづけるよう促し、重い空気になった時母は自分は子供を第一優先にしたいと言った。石川は思っていることはあんまりはっきり言うことは良しとされないため、母はその後苦労したらしい。しかし、はっきりいわなければ、つたわらなかっただろう。

 二つ目の理由は、察することがよいことのようになっているが、勘違いになっていることも、もちろんあるからだ。例えば、自意識過剰な人だったりとか、敏感すぎる人は、何かを察してほしいと思って一言言ってしまうと、想像を膨らませて大騒ぎをすることだってあるからだ。ある同級生で問題になってしまった子がいる。その子は喘息を患っていて、鬼ごっこ中に、一人が気にかけて、辛かったら抜けてもいいよといった。だが、それを深読みし、彼女は仲間外れにされたと勘違いしてしまう。その結果、先生や親に言ってしまい、少し大ごとになってしまった。その子のように、相手の言葉の意図をそのまま受け取らず考えすぎてしまい、勘違いてしまう人が増えているように感じる。

たしかに、言い換えて言うのも悪くないだろうし、特に恋愛では、「月がきれいだ」などと、言った方が、西洋人のストレートな言葉より美しく響くのはたしかだ。だが「空気を読

むのではなく空気を変え人間に」という名言があるように、察してもらおうと、相手に任せず、言葉できちんとコミュニケーションをとった方がよい。