未来の可能性
高2 あかぬり(akanuri)
2026年9月2日
石油ショックを経て、日本は公害抑止技術を含めて日本の技術が世界に貢献できる余地が明らかに増えた。ただ、日本はもともと純粋科学のような理念を持ち難い体質の社会である。また、過度の平等化が進んで、突出した才能を発掘しにくい雰囲気もあろう。ノーベル賞受賞者を一人増やすよりは、生を支えるような科学技術、未来の人々が生きていてよかったと思えるような地球を残すために役立つような科学技術、そうしたものの創造に力を尽くす科学者が日本から一人でも生まれることを望む。
年々、科学技術が発達し、社会の発展につながっているものの、未来の人々や自然に、その技術を十分に使えていないことは問題だ。
第一に考えられる原因は、自分の立場に置き換えて、想像できる人が減りつつあるからだ。ミシガン大学の調査によると、「視点取得」と「共感的関心」の低下は、二〇〇〇年以降顕著になっているとされている。僕は高校に入ってから、それを強く感じた。あるとき、仲良くなった友達と一緒に釣りに行ったのだが、その子がつまみで買ってきていたお菓子のゴミを、海にポイ捨てし、何事もなかったかのように釣りを続けていたのだ。僕はもちろん驚いた。というのも、あそこまでなんのためらいもなくポイ捨てする人は初めて見たからだ。僕は思わず、「えっ、なにしよん。」と口にした。するとその友達は、「いや、おれが捨てたぐらいでなんも変わらないから。」といったのだ。これは、地球環境が良くならないわけだ。僕は痛感した。高校に入ってから、こういったケースに何度か遭遇し、困惑した。今まで悪いと思いながらもやっている人はいたが、何も悪いと思わず、当然のようにしている人は初めてだったからだ。このような人が増えている背景には、「困っている人は努力が足りないだけ」や「自分の力で頑張れ」といった、個人主義の広まりの影響もあるのではないかと感じた。
第二に考えられる原因は、長い目で見ることができていないからだ。僕は小さい頃から、「西条自然学校」という非営利団体にお世話になっており、自然の知識や人と自然の関わり方、問題について学んできた。その中で、今僕の住んでいる隣の市で問題になっている、地下水のことについても最近話を聞いた。昔から、その市では、打ち抜きが有名で、水の都と呼ばれていた。しかし、近年は川の水位が下がったことにより、地下水の低下も起き、塩水化が問題となっている。もう水の都ではいられない状態だ。しかし、「水の都」として全面的にアピールしており、それをやめてしまうことはリスクが伴う。そのような理由で、市はまだしっかりと、市民に現状を説明できていないそうだ。たとえ、リスクがあろうとも、長い目で見て、すぐに別の対策を練って切り替える。それが必要だと思う。でなければ、いつか必ず終わりが来てしまい、その時には手遅れになるだろう。
確かに、科学が発達し、ものが豊かになると人々の可能性も広がる。しかし、豊かさとは科学技術の発達でのみ得られるものではなく、この地球なしではありえない。いくら技術が発達し、可能性が広がろうと、、そもそも土台がなければ元も子もないのだ。だから、年々、科学技術が発達し、社会の発展につながっているものの、未来の人々や自然に、その技術を十分に使えていないことは問題だ。