噴水は飲めない水で(感想文)

   小6 あかすな(akasuna)  2026年9月2日

 噴水は飲めない水であり、浴びることのできない水である。しかも、その水はただそこを循環しているだけであるから、何の役にも立たないものなのだ。日本の噴水は、依然として「役に立たないもの」であり続けており、周囲に群がる人々も、依然として「どうしていいかわからない」まま困惑している。水不足の場合噴水を停める必要はない。停めたって、水不足を補うことにはならないのだ。見ているものを楽しませようという工夫であろうが、あれも、噴水の真に噴水たるものを見えにくくさせる。噴水は、ただ水を噴き上げてればいいのである。

 身の回りにある、役に立たないけれど、あるといいものを家の中で考えてみた。私の家にあるものは観葉植物だ。2019年からあり、今では天井に届いてしまうほど大きくなっている。きっとほかの人が見ても、「そうなんですね~」で終わってしまうだろう。しかし、私にとってはただの植物ではない。しっかり名前がついていて、毎月のように新しい赤ちゃんも生まれてくる。その成長を観察するのが楽しい。まるで家族の一員が少しずつ成長しているようで、見るたびに愛着がわいてくる。また、植物があることで、部屋の雰囲気も穏やかになる気がする。つまり、生活に不可欠ではないが、心を豊かにしてくれる存在なのだ。だからこそ、役に立つかどうかだけで、ものの価値は決められないと思った。

 さらに、外にあるもので考えてみると、レストランにある写真や音楽も、役に立たないけれど、あるといいものだと思う。料理を食べるために写真や音楽は必要ではない。写真がなくても料理の味は変わらず、音楽がなくても食事はできる。それでも、写真があれば店の雰囲気やこだわりが伝わり、音楽が流れていれば、落ち着いたり楽しい気分になったりする。おそらく私だけでなく、多くの人も「なくても困らないけれど、あったほうが心地よい」と感じているのではないだろうか。一方で、必要性だけを考えれば不要なものでもある。しかし、人間は便利さだけを求めているのではない。こうしたものがあることで、毎日の生活に彩りが生まれるのだと思う。

 人間にとって文化とは、生活を豊かにし、人の心を動かすものなのだと思った。観葉植物やレストランの写真、音楽のように、なくても生きていくことはできるものが、私たちに楽しさや安心感、愛着を与えてくれる。文化とは、単に役に立つものを残していくことではなく、人間らしい感情や思いを大切にすることなのではないか。「温故知新」という言葉のように、昔から受け継がれてきたものを大切にしながら、新しい価値も見つけていきたい。今の日本にも、茶道や和食、祭りなどの伝統文化がある一方、アニメや音楽、ファッションなど新しい文化も存在している。これらは生活に絶対必要ではないが、人の心を楽しませ、人と人をつないでいる。だからこそ、これからも身近にある何気ないものに目を向け、その価値を大切にしていきたい。