以心伝心
中1 あおやゆ(aoyayu)
2026年9月2日
日本人は以心伝心、説明をしなくても言いたいことが伝わるという交流をしている。花見、月見、雪見というように、だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。さらに言えば日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。つまり、日本では言葉でなく、物理的対象物と共に見ることで、社交が成り立つのだ。人は協力し、助け合って生きていくものであるからこそ、言葉なしにも心が通じ合うことは大切なことだ。私は言葉に頼らない日本的なコミュニケーションの取り方は良いと思う。
第一の理由は言葉に頼らないため、はっきりとした線引きがなく、個々の思いや考えで自由に感じることができるからだ。お花見やお月見も言われてみれば何がどう面白いのかどうステキなのか明確に表現するのは難しい。はっきりとこれはダメとかこれはとてもいいとかが決まっていない分、どんな桜や月でも「今年は最悪の天気で残念なお月見でした」「今年はこぶりの花であまり咲かなかったので来年に期待しましょう」という報道は聞いたことがない。言葉によって限られてしまう気持ちや感情、状態は想像を掻き立てると同時に明確に伝えたい思いを区切ってしまうものでもあるのだ。日本語が多彩に発展し、他の言語よりも難しいと言われる理由は日本人の以心伝心を好むところから、語彙が発達しより明確に心情を表そうとしたからなのかもしれない。
第二の理由は言葉に頼らないため誰にでも伝わるからだ。みなさんは突然、日本語が喋れない外国人が教室にきたらどう思うだろうか。日本人の新しい先生よりも外国人の先生は近寄り難い。これは言葉が通じないことが大きいと思う。しかし私が中学生になって再度実感したのは言葉が通じなくてもいい人なんだなとわかるということだ。私の英語のネイティブの先生はケンどらという名前だ。ケンドラ先生はとても面白く言葉がわからなくても一生懸命ホワイトボードに絵を書いたり身振り手振りで伝えようとしたりと私たちとつながろうと心がけてくださっている。大切な意思疎通の道具であるコミュニケーションが取れなくても人間としての心で会話することはできると思う。近年は英語を小さいことから習う人が多くなったが、一度でも言葉が通じないという状態を体験してみてほしい。きっと言葉が全てではないことに気づくはずだ。表情や身振り手振り、絵などコミュニケーションんツールはたくさんある。心で通じ合うことができるのもその一つだ。
確かに言葉できちんと伝えてはっきりいう方が誤解が生じにくい。しかし、言葉がないからこその感情の幅広さがある。何でもかんでも言語化するのではなくたまには心の中でぼんやりと感じることも大切だ。和をもって尊しとなすという聖徳太子の言葉は争いを避け、人々が仲良く協力し合うことが最も尊いという意味だ。単に意見を合わせるだけでなく、お互いを尊重し、しっかりと言葉を交わして調和を目指す姿勢を含む。私も言語化することの大切さも踏まえて、言葉にすることの危なさや良さの二面性を理解して作文を書いていきたい。