情報を見極める

   高1 あえとく(aetoku)  2026年9月2日

 知識の生産過程は人間の主観的内面世界での思索にかかわるが、知識は個人の主観を超えた客観的存在で、形成過程には客観的要因が作用する。知識社会学は、思考作用における「理念的」要因と「実在的」要因とのかかわりや、思考作用が「存在諸要因」にどう拘束されるかを問題とする。しかし情報にはこの二重性はない。情報は、直接体験し得ない具体的な事実について経験の範囲を拡大する代用物であり、知識の素材だが知識そのものではない。また情報は瞬間的で、意外性を生命とし、反復されず蓄積されない。さらに、不確実性を減らし意思決定を確実にする道具である。これに対し知識は反復され、記憶され、蓄積され、それ自体のために求められ、文化の共有と共通の生活世界を形成する。情報には詳しいがものを考えない人が大学や研究所の主役になれば、知識を生産する能力を失うことが心配される。私たちは、本当の知識をつくりだす方法を身につけるべきだ。そのために考えられる方法は二つある

第一の方法は、情報を過信せず、自分で考える習慣をつけることだ。たとえば、生成AIに作文の題や質問を入力すると、短い時間で整った答えが返ってくる。その答えをそのまま提出すれば、課題は早く終わるかもしれない。しかし、それを続けると、なぜその答えになるのかを考えたり、自分の言葉で説明したりする力が弱くなる。さらに、AIは正しくない内容を本当のことのように書く場合もある。そこで、まず自分の考えをメモし、その後でAIの答えと比べることが必要だ。また、教科書や公的な資料も調べ、事実が合っているかを確かめるべきだ。AIは答えを代わりにつくるものではなく、自分の考えを広げるための補助として使うことが大切だ。

第二の方法は、情報化社会の利点をうまく使いこなせる人材をつくることだ。学校では、機械の使い方だけでなく、情報を探し、正しいか考え、相手に分かりやすく伝える力も育てる必要がある。また、家庭や住む場所によって情報を得る機会に差が出ないようにすることも大切だ。たとえば、昔から災害の後には、事実ではないうわさが広がり、人々が混乱することがあった。今はSNSでそのような情報がすぐに広がるため、見た情報をすぐ信じず、ニュースや公的な発表を確かめる力が必要だ。

確かに、情報化社会に対応し、格差を生まないように情報を得ることも大切だ。しかし、私たちは単に受け渡しされる情報に左右されるのではなく、知識を持って情報を使う立場に立たなければならない。大切なのは、情報の多さではなく、その情報について自分で問い、確かめ、考えたかどうかである。便利な道具を遠ざける必要はないが、道具に考えることまで任せてはいけない。私は、「情報は答えを運ぶが、知識は自分の中に道をつくる」と考える。情報を受け取るだけの人ではなく、情報から新しい知識をつくれる人になることが、これからの社会を生きる私たちに必要だ。