私は二十年ほど前から
中1 うたうた(utauta)
2026年9月1日
人間は自らを飼育し、家畜化ーー自己家畜化している。まず人間は、人間自身を飼育しているのではないか。飼育とは、食物を供給、され、さらに生活空間や場も与えられるといってよい。ライオンのような強力な捕食獣にとっても、離乳の後、自力で獲物をうまくとれるようになるまで、生き続けることはとても難しい。それだけに食物を供給されることは、まるで全生活の面倒を見てもらうのに等しい。したがって自己ペット化は、その自己家畜化の管理・保護と人工化がより進んだ現代的な先進国での特殊な状態とみなせる。
自由はストレスではないが、すべてが自由で自分で決めないといけないのもストレスに入ると思った。だから、家畜化が必要だと思う。
理由は二つある。一つ目の理由は、ルールに従わず、やりたい放題をしていると、いろいろな人に迷惑をかけるからだ。例えば、学校にいたときに火事が起きたとする。先生たちに「外に避難する。○○階段は使わないでくれ。火が発生した理科室に近いからだ。」と言われて、それを聞いて理科室に向かうと、それを先生が追わなくてはならない。(止めるために。)これはすごく迷惑だ。地球にはたくさんの人間がいる。(確か、80億いるときいた。)その人間全員がルールを守らずに行動したら、地球が壊れてしまう。だから、家畜化が必要だと思う。
二つ目の理由は、すべてを決めるのもストレスに入ると思ったからだ。私は学校に行くのは好きだ。友達も、先生にも会いたい。だが、授業を受けるのが嫌いだ。一コマ五十分と決まっており、おなかがすいても、おやつを食べることはできないし、授業中に(保体は年中飲んでいいが、技術や、美術は夏だけだ。)飲み物を飲んではいけない。授業と授業のあいだにある十分休みで飲むことになっている。だから、休憩したいときに休憩できないし、受ける授業の教科も決まっている。(私は数学が苦手だ。だから、数学の授業を受けたくない…。)すごくめんどうくさいと思っている。しかし、自分で次にやる教科を決めるのは、使っていた消しゴムが割れたときぐらいめんどうだ。休みの日に自習をするときがある。そのときに一番面倒くさかったのが、自分で次に何の教科を勉強しようか選び出すことだった。決められていないのも以外と億劫だった。
確かに自由があれば決められているというストレスも減るだろうし、やりたいことがやりたいだけできる。しかし「すべてを決めろ」と言われるのもストレスだと思う。一人一人が、自由にやりたいことだけやっていると、周りの人にも迷惑をかけるし、社会が回らないと思う。だから、家畜化は必要だと思った。