日本

   高2 あかれり(akareri)  2026年9月3日

  日本人は花などの和名をすぐに外来語に置き換える事が多く見られる。そのような現象の背後に、絶えず新しさを求め続ける日本人の積極性を認める人がいるかもしれない。その精神自体は評価すべき点ではあるが、もとの和名の芸術的とも言える名前を書き換えることに誰が得をするのだろうか。私は日本的な良いものを見つめ直す生き方をしたい。

 そのための方法は第一に、身近な自然を楽しむ気持ちを持つことだ。私の住んでいる地域では毎年夏になると蝉の鳴き声が聞こえてくる。しかし今年の夏は豪雨の影響か蝉の鳴き声が聞こえ始めるのが例年より遅く、夏が来たという実感を気温でしか感じることができなかった。セミは日本の夏の風物詩であり、日本の人々に四季を感じさせてくれるはずだ。したがって、季節の移ろいや小さな変化に目を向け、風情を感じ取る心を育むことこそが、日本人が昔から大切にしてきた自然とともに生きる姿勢を再発見する第一歩となるはずだ。

 また、第二の方法としては、自国の文化を理解することを教育の基礎に置くことだ。伝統芸能や歴史、文学などを単なる知識として覚えるのではなく、その背景にある考え方や思いを学ぶ機会を増やすべきである。たとえば千円札の肖像でもおなじみの文豪、夏目漱石が挙げられる。彼はイギリスへ留学した際、西洋文化の圧倒的な強さに衝撃を受けつつも、ただ西洋を真似るだけではいけないと痛感した。そして帰国後、日本の伝統的な感性や言葉の響きを大切にしながら数々の名作を書き上げ、独自の文学世界を築き上げたのである。漱石が見せた自国の文化や言葉に対する深い理解と誇りは、まさに現代の私たちが教育を通じて受け継ぐべき重要な姿勢となるはずだ。自国の文化という土台がしっかりと培われていてこそ、他国の文化に対しても本当の意味で敬意を持って接することができるのである。

 たしかに、外来の文化や新しい技術など、良いものを吸収して柔軟に変化していくことも大切だ。変化を恐れず新しい要素を取り入れることによって、日本の文化は時代の変化を乗り越え、より豊かに発展してきた側面があるのも事実である。しかし、ドイツの詩人であるゲーテが「もっともローカルなものが、もっともグローバルである」という趣旨の言葉を残しているように、自分たちの足元にある独自の文化を深く理解してこそ、はじめて世界に通じる本当の価値が生まれるのではないだろうか。自国の伝統や和名の持つ美しさを軽視してまで流行の言葉に流されてしまっては、その根底にある日本の良さそのものが失われてしまうかもしれない。

 ゆえに、私たちは今一度、身近な自然に目を向け、歴史と教育を通して自国の文化を見つめ直すべきである。外来の新しいものを受け入れる柔軟性を保ちつつも、昔から引き継がれてきた日本的な美徳や感性を大切に守り引き継いでいくことこそが、これからの社会を心豊かに生き抜くための大切なヒントになるはずだ。