自分で判断し決断し行動する(感)清書

   中2 あかそよ(akasoyo)  2026年9月4日

 自分で判断して行動することは簡単そうだが、難しい。それが面倒くさくて大勢の意見に依存することもある。それが間違っていても自分自身に責任はない。ましてや責任を追及されることはない。そういう面でもはるかに気楽である。普通は、周りに従ってしまいがちである。しかし、生活していく以上、自分で判断し行動しなければならないことは少なくない。それができなければ生活できないかもしれないが、それも意外に難しい。そういうものは子供にもあるという。そういう子どもたちは指示をひたすら求めるのである。それは、自分自身の判断をはじめから放棄しているに等しい。子供の場合ならまだ希望はあるが、これは大学生にも新卒の社会人も同じかもしれない。内容は自由といわれるとかえって困る。彼らは自分で考え判断し、行動することになれていない。

 自分で判断し、行動することは大切だ。僕は小学生の時集会委員会に入っていた。一年生を迎える会というものがあり、それには集会委員会も出しものを出した。それで、僕がマリモクイズをやると言って台本を作りまで一人で行った。それを実際に一年生を迎える会でやった。それが結構評判がよく、担当の先生にもほめられた。初めはうまくいくか分からないような状況で始めただけだったが、終わってみると良かった。これは誰かに勧められたわけではないし、誰かと一緒にやったわけではない。自分で判断し、決断し、行動したのだ。それをしていなければこうはならなかった。他人の意見ばかりに頼っていずに、自分だけで決断し、決行することも時には大事なのだ。

 一方で他人の意見を聞くことも大切だ。自分の判断だけで行動をしているとより良いことに気付けないことがある。今、言葉の森の数学で場合の数をやっている。その中に、いくつかの中から3つ選ぶときの選び方の通り数を聞かれる問題があった。僕はそれを気の遠くなるような面倒くさい方法でやっていた。だが、答えを見てみると通りをすべて出し、それのかぶっている分は3×2×1で割ればよいと書かれていた。これを使い始めたことで問題を解くのがだいぶ楽になった。さらに、4つや5つならどうなるのだろうと母に言われて、調べたらxつ選ぶときはx!で割ればよいという事が出てきた。これを知ったため、一つずついくつ選ぶときは何で割るというのを覚える必要がなくなった。答えを見たり、母の意見を聞いたり、ネットを見たりしたという事は他人の意見を聞いたという事だ。他人の意見を聞くことも大切だ。

 確かに、自分で判断し決断し行動することも、他人の意見を聞くことも大切だが、「始めることも大切だが、やり遂げることの方がもっと大切である」という言葉もあるように、どういう風な手段でやるのかという事が大事なわけではなく最後までやり遂げることが大事なのだ。一迎会のマリモの時のように自分で判断し決断し行動したことでよい結果に転ぶこともあれば、場合の数の時のように他人の意見を聞いたことでよりよくなった場合もある。でも、どちらの方も最終的には良い方に転んでいた。自分でやるか人の意見を聞くかではなく中途半端なところで止まらない、最後までやり遂げるということが大事だ。中途半端に終わればそれで終わってしまう。初めから何もやらなかったのと同じようになってしまう。途中まではやっているのに最後までやらないともったいない。何事も最後まで終わらせるのが大事なのだ。