相対的

   中2 あきたい(akitai)  2026年9月4日

  目はたいへん有効な感覚器だが、有効すぎることにあんがい気づかないことがある。たとえば、物の大きさがわからない。視覚系だけにまかせておくと、大きさの絶対値がわからない。相似というのは、形は同じだが、絶対的な大きさはどうでもいい。それはまさしく、視覚系の性質である。私たちがが「比例」とか「相似」を考えることができるのは、視覚系にそういう性質が存在するからであろう。目の網膜は、構造的には、実は脳の延長でる。相似とは、脳の一部がやっていることを、脳のどこかの部分が知っていることかもしれない。

 僕は相対的ということは僕たちにとって便利だと思う。僕は人と自分をよく比較している。例えばバドミントンをプレーしていて、何かうまくいかない時には自分の動きと相手の動きを相対的に比べて自分に何が足りないのかを分析している。そうすることで一人で考えるよりもより早く動きを修正することができる。またテストの勉強でも僕は相対的であることは必要だと思う。平均点が40点のテストで50点を取るのと平均点が70点のテストで40点を取るのとでは、相対的に考えると良い悪いが変わってくるだろう。平均点が40点の場合は自分は平均以上なので良いと考える考え方もあるが、同じ40点でも70点が平均的だと自分は他の受験者よりも劣っていると考えることもできる。そうすることで自分の立ち位置を理解することができるのだ。またテストの順位もそうだろう。順位も相対的に考えて自分が何番目にいるかを理解するのに必須だろう。このように相対的に考えることで自分の立ち位置がわかったり、早く修正することにつながるのだ。

 しかし、人生には絶対的なものが必要なときもある。僕はマインクラフトというゲームが好きだ。マインクラフトというゲームは自分で自由にブロック型の世界でなんでもできるゲームのことだ。僕が小学校4年生の頃はクラスの男子の大半がこのゲームをプレイしていたが中学生になってからはみんな違うゲーム変わってしまった。僕は最初に始めたゲームがマインクラフトなので思い出深いゲームで今もなおプレーしている。僕は周りの環境が変わってもマインクラフトが好きだ。このような趣味は相対的に考える必要がなく、絶対的に考える必要があると思う。僕はこれからもマインクラフトをプレーしていきたい。他の例に将来の夢がある。将来の夢は学校に通っているとよく問われる場面がある。しかしこれは個人の絶対的なものがあり、他人と比べるものではない。このように人生には絶対的なものも必要なのだ。

 確かに、相対的なものも、絶対的なものも、どちらも大切だ。「変化こそ不変の法則である。ヘラクレイトス」という名言があるように絶対的なものをひとりで決めていくよりも、生きていく中で他人と協調しつつ判断し変化していくことが大切である。