「役に立たないもの」とは
小6 ゆい(akakiyu)
2026年9月2日
「役に立たないもの」とは
噴水はなんの役にも立たないものなのだ。そして、それがいい。とても役に立たないものが出現すると、それだけで困惑するが、この困惑が新たな文化を創り出すのである。噴水はそのためのものであろう。ドイツのミュンヘンにはコインの投入口のない自動販売機があり、その周りにはやや困惑した人々がたたずんでいる。もちろん、ミュンヘンにも噴水があるが、住人は役に立たないものとみなさないようなのだ。その点、日本はまだ大丈夫である。噴水は依然として、役に立たないものとしてあり続けている。だが、噴水に電気仕掛けの細工をしたり、照明で色をつけたりするのも良くない。噴水の真に噴水たるものを見えにくくさせる。噴水はただ水を噴き上げていればいいのである。
私の家に飾られている花は一見役にたたないように見えるが、実際は人間の「心」と関係している。花について調べてみると、花には「心身を癒やす効果」があるということが分かった。実際に美しい花がそこにあるだけで、空間全体の雰囲気がガラリと変わり、私たちの気持ちまで明るくなる。花だけに、心を華やかにさせるという効果を実感できるのだ。もし家に花が飾られていなかったとしたら、忙しい中で家の中にいながら自然を感じたり、心を落ち着かせたりする機会を失っていたかもしれない。花は何かに使うような道具ではないが、ただそこに綺麗に咲いているだけで心にゆとりをもたらしてくれる。ゆとりをもたらしてくれるからこそ、花の真の価値がわかるのだと思う。
役に立たないようなものは他にもある。それは、私がよく通る近所の公園の木彫りのゴリラの彫刻だ。一見するとただの飾りに過ぎず、社会の役に立っているようには見えないかもしれない。しかし、その彫刻は季節の変化に合わせて着ている服が替えられているのだ。夏には麦わら帽子、ハロウィンなどの時期には仮装姿などを目にすることで、私は無意識のうちに「もう季節が変わったのだな」と、日常の中で巡る季節の移り変わりを感じ取っている。ただの置物であっても、人はそこから感じ取れることがそれぞれあるのだと思う。私は置物なんてどうせ捨てることになるのではないかと感じていたが、実は生活に彩りを与えてくれているのではないだろうか。目に見える便利さだけが物事の価値ではないと、このゴリラの彫刻は教えてくれている気がする。
飾りは人間にとって心が満たされるものである。一見すると無駄に思える飾りこそが、人間の心を豊かにしてくれる不可欠な存在なのだと分かる。「無用の用」ということわざのように、役に立たないようなものこそが根本的に最も大きな役割を果たしているのではないだろうか。もし世の中が効率や実用性ばかりを優先し、こうした「一見無用なもの」をすべて排除してしまったら、私たちの社会や心は乾いたものになってしまうはずだ。無駄なものだと最初に思ったとしても、奥にある本当の価値に気づき、豊かな心を持って生活を送っていきたい。