文化の交流
中3 すみひな(sumihina)
2026年9月4日
このところ日本では、花木や草の名称が大変な勢いで外来語に置き換えられている。旧来の日本の花の名は、美しく風雅なものがほとんどだ。しかし、彼岸花はリコリス、胡蝶蘭はファレノリプシスといった具合に、年ごとに言いかえの数が増えていく。英国では、花木や草花が決定的に少なく、固有の名が乏しい。したがって、新たな植物に名をつける際はギリシャ語やラテン語に頼らざるを得ない。反対に日本は、気候風土の関係で、ヨーロッパのどの国にも劣らないほどの植物の種類の豊富さを持っている。絶えず新しさを求める日本人の積極性は評価できるが、芸術ともいえる、巧みに工夫された従来の和名を置き換えて、いったい誰が得をするのだろう。私は、日本に古くから受け継がれてきた自然や文化を守って、つないでいきたいと思う。
第一の方法は、自分自身の感性を磨くことだ。「枕草子」からも、夜、明かりに寄ってくる虫や、降る雪、しぶきになって跳ねる水など、一見何でもないようなものに趣を感じていることがわかる。身近な自然の中に美しさや趣を見つける感性は、日本で古くから大切にされてきたものだ。そして、それは現代の私たちにも受け継いでいくことができる。私のマンションの近くには、ナンテンの木がたくさん植わっているのだが、冬になると、実が赤く熟し、その上に綿雪が積もって帽子のようになる。ヒヨドリなどが枝から飛び立ち、雪がはらはらと落ちる様子はとてもかわいらしい。スマホを見ていたり、地下街で長い時間を過ごしていたりすると、こうした変化に気づく機会が少なくなるのではないか。だからこそ、日常生活の中で少し立ち止まり、身近な自然を自分の目で見る時間を持つことが重要なのである。
また、第二の方法は、自国の歴史を学ぶことに積極的になれる環境を作ることだ。学校では出来事とその理由を年代と共に学んでいる。しかし、本当の歴史とは先人の教えや教訓が詰まった手紙のようなものである。歴史を学ぶということは、暗記することではなく、これまで生きてきた人々の生きざまを学ぶことだ。記念館などでは、様々な作家の作品だけでなく、手紙や日記から、その人物の人生観を知ることができる。私は、こういった場所に行く体験を教育の中に組み込んでいくことが、日本の文化を大切にすることにつながると考える。そして、歴史を自分とは無関係な過去として終わらせず、自分たちが何を残すのかを考える材料として学ぶことが重要だと思う。
確かに、海外の、優れた新しい技術は私たちに娯楽を提供し、生活を楽しくする。しかし、その快適さゆえに、それらを上手く使いこなせていない人も多い。グローバル化が進み、人やモノだけでなく様々な文化が流通している今日、新しい技術や文化を適切に選び、使いこなすコントロール力は、ますます重要になっている。こんな時こそ、日本という国を振り返ってみてはどうだろうか。「よき書物を読むことは、過去のもっともすぐれた人々と言葉を交わすようなものである」というルネ・デカルトの名言もある。私は、これから日本的な良さを学びながらも、新しいものを取り入れることに好奇心を持って生きていきたい。