私は二十年ほど前から
()
年月日
人間は自らを飼育し、家畜化ーー自己家畜化している。人間自身がつくった社会システムに依存して暮らしている点からで飼育動物はそれなりにフリーに動いてはいるものの、少し大きな目で見ると人工的につくった場の中で飼育されている場合と違って、放飼場のついた飼育場で飼われている。飼育とは、食物を供給され、さらに生活空間や場も与えられることである。現代の青年や子供は、座敷イヌと類似している。ある程度の自己家畜化は必要だと思う。
第一の理由は規則正しい生活をすることによって、一日を有効に使うことができるからだ。私は学校の休みの日に、「今日は朝から勉強をして、部屋の片付けもして、午後は好きなことをしよう」と前日の夜に考えていたことがある。しかし、次の日に目を覚ますと、なんと昼近くになっていた。時計を見た瞬間「私の朝、どこに行ったの?」と思ってしまった。急いで起きたものの、朝にやる予定だった数学の勉強や部屋の片付けをする時間がなくなってしまった。そのうえ、起きるのが遅かったせいで、午後になっても少し眠く、なかなかやる気がでなかった。結局、やりたかったことを全部終わらすことができず、「もう少し早く起きればよかった」と後悔した。休みの日だからといって遅くまで寝ているのではなく、普段と同じような時間に起きることが大切だと感じた。早起きをすれば朝の時間を勉強や自分の好きなことに使うことができる。またやることを早めに終わらせれば、余裕ができる。だから私は、休日でも生活リズムを崩さず、時間を大切にして一日を有効に使えるようにしたい。
また、第二の理由はみんなが自由気ままにやっていたら社会の秩序が保てなくなるからだ。例えば学校の生活の中で「この先生だから授業中に立ち歩いてもいいや」と考えている人がいて困ることがある。先生によっては少し注意が優しいことがあり、そのときに授業中に友達の席へ行ったり必要もないのに立ち歩いたりする人がいる。また、次の授業の教科の準備をしていなくて、チャイムが鳴ってから教科書やノートを探し始める人もいる。そうなると、授業が始まっているのになかなか静かにならず、先生が何度も注意をすることになってしまう。私は「授業より準備の時間が長くなってない?」と思うこともある。もし、みんなが「この先生は大丈夫」「自分くらいならいい」と好きなように行動してしまったら、クラスのルールはあってないようなものになってしまう。そして、静かに授業を受けたい人まで集中できなくなってしまう。学校のルールは先生に怒られないためだけにあるのではなく、みんなが気持ちよく過ごすためにあるものだと思う。だから自分が自由にしたいという気持ちだけを優先するのではなく、周りの人のことも考えて行動することが大切だと思う。
確かに人間には自由も必要だ。しかし「自由には責任が伴う」という名言があるように自分勝手に行動するのではなく周りの人のことも考えて行動することが大切だ。だから私はある程度の自己家畜化は必要だと思った。