衰弱したアイデンティティの(感)

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 衰弱したアイデンティティのぎりぎりの補強、それを個人レベル、感覚レベルで見れば多分「清潔願望」になる。僕らは自分の存在を自分という閉じられた領域の中に確認することはできない。僕らは自分を誰かある他人にっって意のある存在として確認できて初めて、自分の存在を実感できる。それは、自他の相互的な関係だけでなく、一見一方通行な関係についても言える。それによって、「私」の自己同一性を補強してもらっている。私は、否定することによってアイデンティティを確立させるのではなく、人間関係の中で自己同一性を高めていくことが良いと考える。

 第一に、それによって、「自分」に強く自信が持てるからだ。以前、美術の授業の時、クロッキーを描く授業があり、上手くかけた自分の作品を、先生に褒めてもらった。言葉にすれば、たった一言だったのだが、その言葉は今でも強く耳に残っている。他人から自分を認めてもらうことは、大きな自分の自信となる。

 第二に、否定によって得たアイデンティティは不安定だからだ。その方法だと、自立のために、常に敵や否定対象が必要となり、「人」がいなければ自分が何者なのかを見失ってしまう。あるアイデンティティに関しての論文で、肯定的な意見では、「家族と仲が良い」や「ボランティアグループの一員である」などの、他人との関わりを実感できる意見が多かったという。

 確かに、他人を否定することによって自己を確立することは手っ取り早く、簡単だ。しかし、「自国に対する称賛が他国に対する軽蔑によって支えられているのであってはならない。」という名言があるように、安定したアイデンティティを得るためには、人間関係の中で互いに認め合ったり、個々を確認しあうことが重要だと私は考える。