清書

   小5 あきよせ(akiyose)  2026年9月4日

 イギリス人は、犬をしつけるのが上手である。犬は、主人の傍らについて前を見てただ黙々と歩いていく。むろん引綱も鎖もなしである。それに比べて日本人の犬は、こちらが恥ずかしくなるほどめちゃくちゃである。

このようなはっきりとした違いはいったい何が原因なのだろう。それは、人間と動物のお互いの位置づけが、イギリス人と日本人では全く異なることから出発していると思う。

私は、前に犬を飼っていた。その犬は、もう死んでしまったのだがわがまま甘えん坊の犬だった。とても可愛らしく、あまり動くのを好まない犬であった。見ているだけで気持ちが落ち着くのだ。そんな犬を私は、家族だと思っている。毎日毎日赤子のようにめでた。捨てるなんて私には、信じられない。捨てるという発想は、きっと人それぞれ違う。だからイギリスと日本での考え方が違っていたのだ。このことから、私は日本風の考えなのだと思った。

日本の昔は、イギリスと同じなのではないかと私は思う。昔は、犬を連れて狩りに出るのは普通だったからだ。他にも羊やヤギ、色々な動物を育てていく中で犬の手を借りていたのだろう。動物たちの世話をさせている国は、世界各地にあるだろう。だが、あまり日本では、聞かない。そういったところも国同士の違いなのだろう。

私は、南極に樺太犬を置き去りにしたときのことについて調べてみた。その出来事が起きたのは、1958年のことだ。南極観測隊が氷に閉じ込められヘリコプターでやっと脱出したとき、タロとジロを含む15頭が南極に置き去りにされたそうだ。そして、約一年後の1959年1月14日、タロとジロの2頭の生存が確認されたのだった。この出来事は、日本中を感動と歓喜で包み込んだ。私は、なぜ2頭が生き残ったのか気になった。2頭は兄弟で、そこに住む生き物の死体や骨などを食べて生き残ったそうだ。私は2頭のゆうかんさに驚いた。私はさらに2頭の映画「南極物語」について調べてみた。この映画は、くらはらこれよし監督が手掛けた映画で、タロとジロのサバイバルと隊員たちの苦悩を描いたお話だ。この映画は、人々が殺すことができない状況で最後まで生き延びていたことにたくさんの市民に感動を与えた大ヒット映画だった。とても悲しい出来事だったのだと思った。この出来事では、日本の動物処理法が勝った。もし私が南極観測隊なら同じことをしただろう。

日本人は、犬という一つの命を家族だと思いタロとジロの出来事を悲しく感じでいるが、イギリスやほかの国々は、「しつける」という日本とは違った思考で生き物と接しているのだと分かった。そしてその思考により生き物がどの地位なのかが変わる。私は、日本人の接し方が犬や生き物にとっていいのではないのかと思う。