清書

   中1 あけやの(akeyano)  2026年9月4日

 花見の場合は、あくまで小共同体意識にとどまり、大共同体意識になれない。そこで小共同体同士がいがみあいを起こしがちだ。だいたい日本人は「見る」ということに重要な意味を与える。百聞は一見にしかずということわざの示すとおり、いくら本を読み頭で理解していても、現場を見たものには太刀打ちできないのだ。さらに言えば、日本の社交の基本は「見る」ことで成立する。言葉を口に出さなくても、満月を仰ぎ見て

「良いお月様ですね。」

そして二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分に通じるのだ。月、雪、花は人と人を結びつける触媒なのである。日本人ならだまってなにかをながめることでも、会話進行しうるのだ。私は、言葉に頼りすぎない、日本流のコミュニケーションの方法は良いと思う。

 一つ目の理由として、同じものを見ていると、相手と気持ちや考えを共有しやすいからだ。相手と同じものを見たり、同じことをすることで、細かく説明しなくても、相手の気持ちや考えを理解しやすい。この前、そのような体験をした。ある日、友達と一緒に「ミニオンズ」という映画を見ていた。その映画はとても面白く、見ている最中にも思わず声を立てて笑いそうになるほどだった。映画の最中にふと、友達と目が合った。その時は、まるで手に取るように友達の考えがわかった。「この映画面白すぎて、今すぐ爆笑しそう」。このとき、私も同じことを思っていた。この体験から、同じものを体験すると、言葉を交わさなくても、相手の気持ちを汲み取ることができるのではないかと考えた。

 第二の理由として、老若男女を問わず、互いに理解し合えるからだ。例えば、お祭りなどで、お神輿を一緒に担いだり、花火を一緒に見たりすると、年齢や立場が違っていても、同じ体験を共有することができる。そのため、たくさんの言葉を交わさなくても、楽しさや感動を分かち合うことができる。また、普段はあまり話す機会がない人とも、同じ活動に参加することで自然に会話が生まれたり、親しみを感じたりすることがある。子どもは大人の姿を見て学び、大人も子どもたちの楽しそうな様子から元気をもらうことができる。このように、同じものを見たり、同じことを体験したりすることは、年齢や立場の違いを越えて、人と人との心の距離を縮めることにつながる。

 確かに、言葉で伝えなければ、誤解が生まれることも多い。言葉でしか伝えられないことだってある。しかし、「トランプが生きているのは、それが実際のプレーにつながるからである。」という名言もあるように、言葉に頼りすぎない、共通の認識をもとにした日本的なコミュニケーションの取り方は大切だと考える。だから、これからは、相手と同じものを見て日本流のコミュニケーションを大事にしていこうと考える。