新しいもの

   高2 あうては(auteha)  2026年9月4日

 私たちが新しいものを取り入れることに抵抗があるのは問題だ。

 第一の原因は、私たち自身にプライドがあるからだ。自分たちの道具、行動が劣っていると認めたくない感情は誰もが持っているものだろう。ましてや自身よりも明確に立場が下の人が自分より優っているというのはなかなか認め難い。それが故に、人間は誰彼の隔てなく、良いものがあればすぐに取り入れるというのができにくい。例えばスポーツにおいて自分よりランキングが下の人のフォームの方が効率的であったとしても、自分のプライドを捨て、素直に頭を下げて教えを乞いにいくというのは簡単にできることではない。たとえそれが客観的に明確であったとしてもだ。そしてなんでも素直に受け入れ、良いものを自分のものにできる人が成長するのだろう。それは大きな枠でも同じことが言える。日本は鎖国を解いた後、アジアの中でいち早く明治維新を成し遂げ、近代化した。そしてその結果欧米列強に比肩できる実力を手にすることができた。一方で明治維新を手本に清で行われた戊戌の変法は守旧派によって挫折し、清はその領土をさらに分割されることとなった。現代でも同じことが言える。優れた技術は積極的に自国に取り入れていくべきだ。

 

 第二の原因は、私たちはよく知っている物、見慣れている物を好む傾向があるからだ。人間には未知のものをリスクとして捉え、よく知っているものの方を安全としてそちらを選ぼうとする性質がある。自身の経験から、よく知っているものは自分に害を及ぼさないと理解しているため、そちらを好む。他にも、人間には自分が深く関わったものに高い価値を感じる性質がある。私も海外に行って、自分がまだ食べたことのない食材を使った料理が名物料理としてメニューに乗っていたとしても、自分が普段から親しんでいる方を選んでしまう。例えば、タランチュラのフライなど、もしかしたら美味しいのかもしれないが、とても挑戦する気が起きない。私は鶏の唐揚げの方を選んでしまう。このように、私たちは未知のものに対する恐怖心を本能的に持っている。しかし、最初に少しの勇気を出せば、それ以降は恩恵を受けられる。未知の技術にも試してみる価値はあるのではないか。

 

 確かに、人間は今まで模倣を繰り返して進歩してきた。それは、他国の良い点を認め、自国に取り入れる操作の繰り返しだ。日本も明治維新の際、これまで慣れ親しんできた様式を一気に捨て、西洋の文物に置き換えていった。しかし、現在他国の技術、文化を素直に褒めずに粗探しをする意見も少なからず存在している。ただ批判するのならば実際に試してみてからの方が良いだろう。試しもしないうちから切り捨ててしまうのはもったいない。一生のうち、自分で生み出せるものは多くない。一方で学べる量は計り知れない。我々には成長するために自分たちのやり方を捨て、他人のやり方を取り入れる必要のある状況がこれからなん度も訪れるだろう。