文化的カプセル

   小6 あけしよ(akesiyo)  2026年9月4日

 日本人の旅行者たちは、身の回りに「日本」をもって動き回る。筆者はそのことを「文化的カプセル」と名付けた。その中に入っている限り、目に見えない文化の皮膜のようなものが、日本人を外界から遮断する。日本人は自分にとってなじみのある世界から離れることを非常に嫌うのだ。ある年に日本人の旅行者が一万人以上もハワイに行ったことがあった。それに対して、ハワイの観光客を歓迎し、日本の人たちを家庭に招きましょうという特別のプログラムを組んだ。招くといってもせいぜい一時間か二時間お茶でも差し上げましょう、といった程度の招待だ。しかし、この一万余の日本人が、ことごとくしり込みし、実際にホノルルの家庭を訪ねた日本人はたったの六人であった。

 僕は五年生の時、英語教室のみんなで、アメリカの学校に行った。初めての体験でとても緊張していた。先生に案内されて、教室に入って席に座ったとたん、僕はみんなに取り囲まれた。みんなは、

「日本語でHelloはなんていうの。」

「マクドナルドは日本にあるの。」

「日本のどこから来たの。」

と質問をたくさんしてきた。僕は緊張のあまり何も言うことができなかった。日本の学校に転校生が来た時は、みんな少し控えめに接していた。これが普通だと思っていたので、アメリカ人の積極的な振る舞いに驚いてしまった。僕も、前述の日本人と同じように文化的カプセルに閉じこもり、アメリカの社交的な文化に即座になじむことができなかったのだ。

僕は、アメリカに行って日本との文化の違いにもう一つ気付いた。日本の学校は、みんな仲のいい小さなグループにまとまって遊んでいることがほとんどだ。しかし、アメリカの学校では、学年関係なくみんなが大きな一つのグループになって遊んでいた。僕はこんなに多い人数で遊んだことがほとんどなかったので、どうしていいのかわからずに困ってしまった。この違いからも、日本人は価値観が同じもの同士が集まりやいことが分かる。

 日本人とは、慣れ親しんだ環境から離れることが難しい人種である。好奇心より保守的思考が強いのである。僕も、アメリカの学校に「小さな日本」という文化的カプセルを持ち込んでしまったから、緊張してしまったのだろう。郷に入っては郷に従えということわざがあるように、アメリカに行ったのなら、アメリカの文化に合わせられれば良かったのだが、そう簡単にはできないことを身をもって感じた。しかし、海外に行くときは、文化的カプセルを持ち歩くのでなくて、その国の文化に溶け込む努力をするべきだと思う。