清書

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 自分で判断し決断し行動する。簡単なように見えて、実はとても難しい。われわれでも、ときとして判断に困り、大勢の意見に依存してしまうことも少なくない。

したがって、主体的に判断して、行動したいという欲求を除けば、ともすれば他人や集団に依存して行動してしまいがちになる。

つまり、他人依存であり、集団依存であり、状況に支配されやすいといった傾向である。その意味では、もはや自分では判断できない決断できないといった問題ではない。

優柔不断といったレベルではなく、自分自身の判断や決断を最初から放棄しているといってもよい。

まず、私は自分で判断することのほうが良いと思う。理由として、自分で考える力がつくからだ。私は今毎週数学をしているのだが、難しい問題があって、解けないことがあった。

どうしようかなと考えて、二つのアイデアまで残った。もちろんこれらの考えが浮かぶまでには少し時間がかかった。やっと解けそうだったので、頭の重さが少し減った。

それで、最終的にどちらの解き方のほうが早いかなと考えることになった。どちらのほうが良いか悩んて、こちらにしようと決めたことがあった。そして、その問題が解けた。だから、頭が良くなったなと感じた。

一方で、他人の意見を取り入れることにも良い理由がある。それは、困る時間が減ることで別のことに時間をまわせるということである。

先ほど伝えたように問を解くときには、どのようにして解こうかと考えることが多い。しかし、それでも解けないとたくさんの時間を使ってしまう。

なので、ほかの人に答えを聞いて、問題を解けば、困る時間が減り、その時間を別のことに回せた。その時間は、ゲームをしたり、別の種類の勉強をしていた。

このように、自分で判断することには、考える力がつく、他人の意見を取り入れることには、困る時間が減ることで別のことができるという、良い理由があった。

ここから私は、自分の力をつけることが大切だと考えた。考える力や別のことの力をつければ、良いのである。「知は力なり」という名言がある。この言葉は、哲学者が

言った言葉であるのだが、自然の法則や原因を知ることが、人間に行動や自然を支配する大きな力を与えるという意味だ。だからこそ、自分にとって最も得になるパワーをつけるのが最も大事と考える。

考える力をつけたりするのも大事だが、別のことをするパワーもあれば、良いと思う。