日本人は笑わない
中1 あさりこ(asariko)
2026年9月4日
日本に対する海外からの評判は沢山ある。その中には良いものも悪いものもある。日本文化に関する評判もそのうちの一つだ。私たちは日々、独自の文化になんの疑問も持たずに生活している。しかし外国人にとって、ヨーロッパと日本の文化が共存している日本文化は不思議で仕方がない。このように私たち日本人にとっての当たり前は外国人の当たり前ではないのだ。本来は交わることのない文化を取り入れることで二つの文化を共存させることは私たちの文化にとって大きな強みになると考える。
私が小学二年生になった時だった。コロナウィルスが世界中で流行した。その中で私が当時住んでいた中国では厳しいゼロコロナ政策が行われるようになった。憂鬱に思っていた時、隣に住んでいたサウジアラビア人に出会った。毎日のように放課後、私たちはお互いの文化を共有し合った。そんな貴重な経験をする中で、私は徐々に、イスラムの文化を知るようになっていた。それは西洋の文化と独自の文化の間に生きている私にとって新鮮でもあり驚きでもあった。例えば、食である。彼女たちは西洋の文化であるフォークやスプーン、ナイフを使わず、手を使って食事をする。毎日の食卓に出てくるものは決まってインディカ米に味がつけられたカプサというごはんであった。生まれてから日本食ばかりを口にしてきた私にとっては物珍しく、夕食に招かれるたびに喜んでカプサを口にしていた。しかし、彼女たちはというと「またか」というような顔をしながら憂鬱そうに夕食をとっていた。また、私が日本の文化としておにぎりを紹介すると喜んで食べていた。彼女たちの反応を見て、独自の文化を大切に守ってゆくことは大切だけれど、それと同時に、他の文化を学び、取り入れてゆくことも同じくらい大切なのだということを痛感した。
ふと自分のことを考えてみた。私は自国の文化に飽きたことがあるだろうかと。そう考えてみるとあまりないように感じられた。同じ季節に共存するクリスマスとお正月、同じマンションの中に共存する板張りの床と畳など枚挙にいとまがない。島国で単一民族の私たちは他の文化を取り入れているのに対し、なぜ大陸続きのサウジアラビアが独自の文化を蒸留しているのだろうと考えた時、まず初めに私の頭に浮かんだのが宗教だった。私のサウジアラビア人の友達は毎日5回、メッカの方角に向けてお祈りをしていた。それだけ彼女たちの絶対的な神、アッラーを敬っているのだ。一神教の彼女たちに比べて私たちに宗教はない。強いて言うならば神道という考え方があるかもしれない。絶対的な一神教の国とすべての物に神が宿るという考え方をする国の他の文化の受け入れ方に違いが出てくることも不思議ではない。彼女たちには他の文化を受け入れるという概念が薄いのだ。あるいはないと言っても過言ではないかもしれない。翻って私たちにはそのような考え方が備わっているように感じる。
私も日本の文化に誇りを持ち、他の文化に浸食されずに自国の文化を貫きたいという意識は十分にある。しかし他の文化を拒否してばかりいるとおのずとその文化は廃っていってしまうように思える。国際社会に出た時に海外の人に日本の文化のすばらしさ、奥深さを伝えることができるよう、自国の文化に対する見解を深めていこうと思う。