世界じゅう、どこにいっても(感)
小6 あきらほ(akiraho)
2026年9月3日
世界中どこへ行っても日本人の旅行者たちは「日本」をもって動き回る。それに取り囲まれていないと安心できず、日本人の「文化的カプセル」の外皮幕はかなり強い。ハワイ州の観光局がホノルルの市民に日本人を家庭に招くという企画があった。ところが結果は大失敗であった。しかしアメリカから日本の観光客に日本の家庭を訪ねてみませんかと誘うと後期の目を光らせることに違いない。日本人はどのような衣食住があるのかそういう好奇心が西洋人の心の中に芽生えるのである。
私は九月のシルバーウィークに他のチームとの合同試合をした。合同したチームはいつもは対戦をしている相手だったこともあり、私としては大きな戸惑いが生じ、アップする時にパス練習や、トラップ練習があったがどうしても同じチームと固まって練習をしていた。二試合一緒に戦ったが最後まであまりコミュニュケーションが取れることなく終了した。もしこれが外国人なら日本人と違って新しい人間関係に馴染もうとコミュ二ケーションを取るに違いない。何故なら筆者が記述していたように外国人は外交的で新しいものを取り入れるという好奇心があるからだ。私の英語の先生は日本人の先生と比べるとやけに声が大きく、ジェスチャーや顔の表情が豊かである。大変馴染みやすいことから生徒にまるで友達のように思われている。人とのコミュニケーションに壁が薄いこのような外国人の特徴から考察すると、新しい環境でもすぐになじめるのではないだろうか。
私の父は幼少期、祖父の仕事の関係でシンガポールに住んでおり、家庭の方針であえて日本人がたくさん住んでいない地域に住まいを構えたそうだ。そして祖母は何度となく近隣の外国人の家庭とホームパーティをしたそうだ。私の父は明るく社交的で、誰とでもすぐに仲良くできる外国人のような人だ。父は生粋の日本人だが、人は海外にでて日本とは異なる環境で育つと外国人のように文化的カプセルの被膜が薄くなるに違いない。
日本人にとって文化的カプセルとは心と体を保護するバリアのようなものだ。何故なら日本は歴史的背景と地理的条件が深く関わっていると思うからだ。徳川家康は西洋諸国の日本への侵略の意図を見抜き鎖国をした。これにより上流階級の人々を除き庶民は、多文化や他国のことに対し興味を示せる情報や、機会がなかったのではないのだろうか。これこそ日本人の文化的カプセルの幕を厚くしたきっかけの一つになったのだろう。地理的条件として日本は島国で大陸のように地続きで他国と隣接していない。外国は文化を身近に取り入れられる環境があったから人と人とのつながりが持てたが、日本は島国であるために文化を取り入れることが容易ではなかった。文化を取り入れるという行為は人とのつながりで取り入れられる量も変わってくるのだと考える。これから私は日本人を含め、外国人に対しても文化的カプセルを薄くし、多文化について触れる自分になれるようコミュニケーションをうまくとっていきたい。