何ごとぞ花見る人の長刀(感)
()
年月日
わたしは、言葉でコミュニケーションをとることが大事だと思う。理由は二つある。
第一の理由は、言葉で物事を学ぶと、見て学ぶよりも多くのことがわかるからだ。先月、私は社会の授業で、世界の国々について習っていた。その単元では、各国との時差を理解し、計算もしなければいけなかった。私は、アメリカに住んでいたことがあり、親せきと電話をするときに、日本との時差を毎回実感していたので、簡単かと思っていた。海外に住んでいたから、ずっと日本に住んでいた人に、負けるわけがないと思っていた。しかし、海外に行ったことがなくても、教科書などからうまく読んで学んだ私のクラスメートAさんは、私よりも早く、時差の計算や、どちらの国が時間的に進んでいるかの問題を解いていた。これは、言葉ではっきるまなんだから、できたのだと思う。
第二の理由は、同じことを見ても、同じことを理解しあえないことのほうが多いからだ。人々は、育ってきた場所も、一緒に暮らしてきた人も、違うので、クラスなどという密な関係でも、分かり合えない。先週、私のクラスでは学級委員決めをしていた。そこで、前期も学級委員を務めていたIさんに誰もがなると思っていた。話し合いでも、Sさんにはならないだろうという話になっているかと私も思っていた。しかし、正式に決めるときは、投票で決めたほうがいいということになって、実際にやってみると、Sさんが学級委員になることが決まったのだ。クラスの話し合いでも、私はみんなもIさんが良いとおもったのだが、私の友達は絶対Sさんになると思ったらしい。「同じものを見て、同じことを理解しあえる」というのは、間違っているのだ。
確かに、言葉に頼らないコミュニケーションをとることで信頼は増す。しかし、「いわねば伝わらない。伝わらねば、ないのと同じだ。」という名言があるように、言わなくてもわかる、と思っていないで、言葉でしっかり伝えることが大事だ。だから私はこれから、授業などで、恥ずかしがらず、自分の理解のために、頭をかしげるような動作ではなく、言葉で疑問を明かしたい。