教育の問題(清
高1 あかさと(akasato)
2026年9月4日
子供たちを取り巻く最近の教育状況は、これに逆行していることが少なくない。したがって自分自身の指針をもたないまま行動してしまう子供が多いという。しかし、このことは大学生にも当てはまる。「指示」しなければ、「マニュアル」を与えなければ、何もできない。そして、今の学生はたんなる「指示」を求めているのではなく、「テーマ化された指示」を求めていることも間違いない。
自分で判断し、周囲に流されないことはよい。近年、学校教育の総合の授業では探究活動が盛んに行われている。主に自分で課題を見つけ、分析し、解決することがこの授業の趣旨だが、将来の自分自身を考えることもある。私は数学や現代文の授業よりもやりづらさを感じた。今まで言われた課題をこなすことがほとんどだったからであろう。このような試みがあることで大人は課題文にあるような問題が解消されると考えがちだ。しかし自分たちはこの自分で決めるような課題に対しても周囲に合わせてしまう。「どんな題材にした?」「どのようにレポートを書く?」のような感じだ。このまま大人になっても周囲の人の意見ばかりを気にして、自分で考えて決めることができなければ、自分が本当にやりたいことを見失ってしまうかもしれない。もちろん、周囲の意見を聞くことは大切だが、それをそのまま自分の答えにするのではなく、一度自分の中で考え直すことが必要である。自分で判断するとは、誰の意見も聞かないことではなく、さまざまな意見を参考にした上で、自分なりの答えを出すことなのだと思う。
一方で周囲に合わせることがよい場合もある。私たちの国日本は民主制によって成り立っている。民主制では、一人ひとりが自分の意見を持ち、それを表明することが大切である。しかし、全員の意見が一致するとは限らない。例えば、学校の文化祭でクラスの出し物を決める際、自分が出した案が採用されなかったとしても、決定した案に協力することは必要である。自分の意見に固執して協力しなければ、集団として物事を進めることができないからだ。このように、周囲に合わせることは自分の考えを捨てることではなく、異なる意見を持つ人々と協力して一つの目標を実現するためにも必要なのである。
確かに、自分の判断で物事を進めていくことも、他人の意見を取り入れながら行動することも大切だ。しかし、「自分の時間をどのように使うか、それがあなたの人生の質を決める。」という言葉があるように、最も大切なのは、自分の時間を何のために使うのかを自分自身で決めることだと思う。物事を自分で判断する時間も、他人の意見を取り入れる時間も、それ自体に優劣があるわけではない。大切なのは、自分にとって何が重要なのかを考え、その目的に合った時間の使い方をすることである。自分で判断することに時間を使うべきときもあれば、周囲の人と協力するために時間を使うべきときもある。だからこそ、周囲に流されて時間を失ったり、何となく時間を過ごしたりするのではなく、「なぜこの時間を使うのか」を自分自身に問いかける必要がある。たとえ他人の意見に合わせたとしても、それが自分にとって必要なことだと納得して選んだのであれば、その時間は決して無駄ではない。限られた時間を、自分の成長や大切な人との関わり、将来につながることに使い、後から振り返ったときに「この時間を使ってよかった」と思えることこそ、よい時間の使い方なのだと思う。