清書

   高2 あさみし(asamisi)  2026年9月4日

 言葉に頼らない、日本的なコミュニケーションがよい理由を述べていく。

 1つ目の理由は、年や性別にかかわらず、同じものを見て、同じことを理解し合えるからだ。例えば、劇を見に行った際、演目を見ているときは静かに見て、「すごいね」みたいな感覚の共有をあまりしないで、視線で気持ちを共有する。そして、演目が終わって帰るときになってやっと、お互いの感想を言って、共感し合うみたいな流れが多いと思う。さらに、花火大会とかでは、花火というものを軸において、簡潔に気持ちを共有する。共有する気持ちも一般的に感じられる感情で成り立っているため、基本的に年齢や性別を無視して、コミュニケーションが取れる。

 2つ目の理由は、コミュニケーションを取ることで、優しい気持ちが生まれるからだ。このコミュニケーションの礎は信頼であるため、相手を信頼、思いやる気持ちがないと成り立たない。例えば、電車内で席を老人に譲る状況になったとき、老人の方を思いやって、頭の中で「足腰悪いのかな」、「座れたほうが楽だよね」のように色々なことを日本人は考える。そして最終的にその年寄りに「どうぞ」といって席を譲り、相手も「ありがとう」とだけ言って座る。短い会話に見えるが、実際は、自分は相手を思いやり、相手は自分を信頼するといった、パズルのようにビッタリはまる関係が築かれている。

 確かに、言葉ではっきり自分の意見を言う方が誤解が生じにくい。しかし「家とは、外から見るためのものではなく、中に住むためのものである」という名言があるように、日本のコミュニケーションのほうが、外面的な言葉の共有とは違って、内面的な気持ちの共感を重要視していて、深い信頼関係を築いていていい。