文化ということを (感)

   中3 あえとみ(aetomi)  2026年9月3日

 文化ということをヨーロッパと日本を比べると、ヨーロッパは個人としてのありかたが独立的で、強くたのもしい。しかし、それは長所であると同時に自己満足的で利己的なにおいを発散させている。現代の日本人が自立的な個人のありかたという彼らの文化の長所を身に付けるにせよ、この短所まで取り入れるのではつまらない。人格の確立というのは、他人の模型を追うのではなく、現在の自分自身の生活の基盤から自力をもって追求しなければならないのだ。

 自己を基盤に置いた主体的な行動力は社会生活において重要な役割を果たす。この「自己を基盤に置く」という理念はヨーロッパを含む欧米でよくみられる。この理念には、欧米諸国に至っては個人の意義や価値を強調し、自由・独立を尊重する個人主義と、誰もが対等な個人であるという信念が根幹に関わっている。そのため自分軸をもつ、すなわち自己主張をすることが重要なのだ。この市民意識は、協調性を重要視する社会で生きている私たちにも必要なのではないだろうか。個人の意義や価値を強調する場面でいうと、やはり自己主張をする機会を思い浮かべる。その例として挙げられるのは話し合いや会議だ。私自身、学校の授業での班活動でテーマに基づいた話し合いをする機会が多くある。その時「私はこう考えた」と主張する力は基本的な要素となる。そして班活動の場で班員が個々の見解を述べた結果、異なる考え方や価値観に触れられるメリットがうまれる。また個々の主張があると自身の意見の立場を明確にでき、さらに見方の違う意見に耳を傾けて新たな視野を拡げる可能性が見出されるのではないだろうか。自己主張を含む積極的で独立的な行動は決して利己的という意味ではなく、自分自身の芯を持つことであり、相手との交流を円滑にするための鍵だと考察できる。一方で周囲の反応を忖度したり他者からみた自分の体裁への評価を過度に懸念したりしては、自分自身を閉じ込めてしまう。そうなっては自分の存在自体を見失うのではないだろうか。そうならないために、自己主張をするなど自分自身を表現する能力を備え、揺るがない軸をもつことが大切だ。そのような人間こそが、人生のいかなる場合でも一歩前進する力を発揮できるのではないだろうか。

 しかし、周囲との調和を試み、相手へ向ける気配りを忘れない姿勢も重要だ。日本では元来、周囲に馴染む協調性や同調が重んじられ、それらが美徳とされてきた。そのため日本には相手や周りを尊重する文化が数多く存在する。お土産というのはその格好の例ではないだろうか。日本文化という観点において、お土産は人とのつながりを保つ役割を果たしている。それらは単に旅行で得たものを身近な人に分けるだけではなく、感謝やお礼の気持ち、そして「これからもよろしく」というような人間関係の維持の側面も含まれている。すなわち、相手を慮った行動をすることで周囲との調和を保っているのである。実際に私も級友から旅行先でのお土産をもらうことが多い。貰うたびに「次に私が旅行に行くときはお土産を買った方がいいのか…」と金銭を気にする部分は難点ではあるが、誰かからお土産をもらうというのは自分がその人と良好な関係を築いている証であり、嬉しいものである。物のやり取りを通しただけでも、相手との信頼関係を構築し安心感を得られる良さがある。ではいったいなぜ、日本にはこのような文化が根ざしているのだろうか。それには、日本社会では相手や周囲を重んじる心を重視してきたからであると考えられる。もし自己だけを優先すれば、周囲からの理解や協力が得られず、やがて孤立してしまう。人との輪があってこそ成り立つ人生では、相手の気持ちを推し量って気遣う心や自分自身が周囲と足並みをそろえるための協調性や柔軟性を培うことが大切だ。そうすれば、他者との真の相互理解が深まることで人間性が高められるだろう。

 確かに自分軸を持つことも他人へ心を配ることもどちらも肝要である。しかし「私たちの幸福が、ほかの人びとの不幸によって支えられているのであってはならない。」と言う名言があるように、一番大切なことは誰とでも対等な関係が築けられるように、双方のバランスをとるための判断力を養うことである。自分軸と配慮のどちらかに偏っては、自己中心的になったり、または自分の気持ちや意見を押し殺したりしかねない。そのため、状況に応じて使い分ける思慮が必要になる。だからこそ、私はこのような力を身に付け、良好な人間関係を築くとともに誰かを尊重できる人間でありたい。