他者との認め合いによるアイデンティティ
中1 おぬきみ(onukimi)
2026年9月4日
「衰弱したアイデンティティのギリギリの補強、それを個人レベル感覚レベルで見れば多分「清潔願望」になる。自分の中になんの根拠もないまま、自分の同一性を確保しようとするなら、「自分は女ではない、子どもではない…」などのようなかたちで、ネガティヴに自分を規定するしかない。僕らは自分の存在を自分という閉じ込められた領域の中に確認することはできない。僕らは自分を誰かある他人にとって意味のある存在として確認できて初めて、自分の存在を実感できるということだ。」
自分を否定する形でアイデンティティを確立するよりも、他者と互いに認め合いながら自己肯定することでアイデンティティを確立するほうが良い。
なぜなら、他者との関係でできたプラスな思考のアイデンティティがあれば、自分に自信がつき、さらに他者を認める心の余裕が生まれるからだ。ある道徳の授業のとき、自分の良いところをたくさん考えるときがあった。私はその時、自分の良いところが頭に浮かばなかった。しかし、次に自分の悪いところを考えるとき、溢れるほどたくさん頭に浮かんだ。勉強は特に得意ではない、人気者でもない、運動もそこそこ。当時の私は、こういった自分を否定する形でしかアイデンティティを確立させようとしていなかったのだと思う。しかし、中学に入りやることも増え、自分なりに努力してきた。そのためかわからないが、私は他人に認められるような長所ができ、それがいつの間にか私のアイデンティティになっていた。また、こうして自分に自信がついたのと同時に、他者の良いところも探す余裕が増えた。他者に認められれば、自分も同じように他者を認めることができるのだ。
また、自分を否定する形でアイデンティティを確立してしまうと、一人ひとりの個性がなくなってしまうからだ。自分は勉強ができない、性格が悪い、失敗を繰り返す、人にはこのような否定的な考えが多くあるが、それらは「個性」と少々言い難いものだ。「時間に遅れることは私の個性だ」とは言えない。このように、自分の悪いところばかりを意識していては、自分にしかない良さや個性を見つけることはできない。
確かに、自分の欠点や弱点を直視することも自分を知るには必要だ。しかし、「愛されることによってのみ、人は人を愛することができる」という名言があるように、他人に認められることで自分に自信がつき、それが他者を認める力になる。このように、互いを認め合い確立したアイデンティティであることが一人の個人のためにもにも、社会全体的にも大切なことなのだ。