勝ち負けの必然性
中2 なかすけ(nakasuke)
2026年10月1日
私は、プロ野球の球団の一つである「東京ヤクルトスワローズ」が好きだ。しかし、ほぼ毎年最下位で、決して強いわけではない。それでも私は、ヤクルトが好きだ。スポーツには、勝敗関係なく、無差別に愛することができるという良さがある。ヤクルトは負けが多いが、その分勝ったときの嬉しさは大きい。そういう良さがあるからこそ、スポーツは愛されるのである。
確かにスポーツに勝ち負けは必要だ。例えば、甲子園球児たちは、甲子園優勝を目指して、日々練習に励んでいる。私は陸上部に所属しているのだが、その部活内でも、同級生同士で争い、高め合っている姿が伺えられる。スポーツの勝ち負けは、単に勝者を決めるだけでなく、個人の人間性を大きく育てる教育的な価値を持っており、勝利を目指して努力するプロセスはモチベーションを高め、目標に向かって突き進む力を与えてくれる。また、勝つことで、達成感を得ることができ、自己肯定感が上がる。 「うさぎとかめ」という昔話では、うさぎとかめが競争をし、うさぎが油断して寝ているときに、かめが先にゴールし、勝ったという話である。このように、たとえ天と地ほどの差があったとしても、日々の努力で勝利を掴むことができるのである。一方、敗北の悔しさは自らの弱点と向き合う自己分析力を養い、挫折を乗り越える強い精神力を育む絶好の機会となる。勝敗を通じて、他者を尊重するスポーツマンシップや、お互いを高め合う協調性を学べることこそが、勝ち負けが存在する最大の意義といえる。
しかし、勝ち負けにこだわるのはよくないという考えもある。ある高校の学校説明会に行ったときのこと。推薦入試で学校に入った生徒が、推薦入試について説明しているときに、面接で「スポーツは勝った方と負けた方、どちらが偉いか」というふうに聞かれたと言っていた。その生徒は、勝ち負け関係なく、その「勝つ」または「負ける」までの過程が大事だと言っていた。どちらが偉いかというふうに区別するのではなく、それぞれの良さに目を向けるべきだと言っていた。勝ち負けがないことには、誰もが包摂され、心から運動を楽しめる豊かな環境を作れる点に大きな価値がある。結果という目に見える評価を意識しないことで、参加者は失敗を恐れずにのびのびと体を動かし、スポーツ本来の爽快感や充実感を得ることができる。また、技術や体力の差に関わらず全員が同じ立場で楽しめるため、多様な人々をつなぐコミュニケーションの場としても機能する。勝ち負けから距離を置くことは、心身の健康を維持し、誰もが笑顔でスポーツを続けられる「生涯の習慣」にするために極めて有効なアプローチといえる。
このように、スポーツの勝ち負けには、良い面も悪い面もある。しかし、大事なことは、「ライオンは、一匹のうさぎを倒すためにも、全力を尽くす。」という名言もあるように、試合に勝つなどの目標を決め、その目標に向けての過程や練習をどれだけ精一杯取り組んだかであり、たとえ負けたとしても、その経験を次に活かすことではないか。