けんか

   中1 あさりこ(asariko)  2026年10月1日

    国で人を判断することはできない。決まり文句のようになっているこの言葉だが否定はできない。しかし国によって一定の価値観の傾向はあると私は考える。それは喧嘩に対する価値観に関しても言えることだ。空気を読むことが重視される社会だからだろうか。日本人は喧嘩を重くとらえすぎる傾向にあると感じる。翻って外国人はどうだろうか。外国人と聞いてふと思い浮かぶのは私が北京で出会ったサウジアラビア人の友達だ。サウジアラビア人の喧嘩に対する姿勢を考えてみると、喧嘩を重いものではなく、仲良くなる道具としてとらえているように思い返される。彼女の考えるように喧嘩をすることによる利点もある。だとすれば喧嘩は必要なことだと言えるだろう。

     第一の理由は、喧嘩をすることで仲が深まると考えるからだ。ことわざに言い換えると「雨降って地固まる」が適当だろう。私はこれを身をもって体験した。私が中国に住み始めてから一年がたっており、様々な国の友達ができていた。その日はサウジアラビア人の友達とドイツ人の友達と鬼ごっこをしていた。すると突然、ドイツ人の友達がサウジアラビア人の友達に向かって「テロリスト!」と叫んだ。二人はしばらくにらみ合いながら喧嘩を続けていた。次の日、私たちは話し合いをした。それぞれの良くなかったところなどを出し合った。この時を機に、私たちは思ったことを素直に、そして率直に伝えることができるようになり、お互いを信頼し合うことができるようになった。私たちの仲はどんどん深まっていった。コロナウィルスがはやり、学校へ行けないときは毎日外で共に走り回り、雨の日はお互いの文化を紹介し合っていた。例えば私はおにぎりを、サウジアラビア人の友達はアラブの主食、カプサを、ドイツ人の友達はシュトーレンを紹介した。お互いの文化の奥深さ、そしてその根底に流れる優しさにふれた。私は思った。これこそが「雨降って地固まる」ということの意味なのではないかと。

     第二の理由は、喧嘩をすることで、お互いの本音を話し、信頼することができるようになると考えるからだ。2025年度のベネッセ㈱が高校生753人を対象にした調査において、約7割の高校生が親との喧嘩を経験したと回答している。また、ソニー生命「中高生が思い描く将来についての意識調査2025」において、「親を信頼している」と答えた高校生は72.6%にのぼった。つまりほとんどの高校生が親との喧嘩を経験したことがあり、また、親を信頼しているのだ。喧嘩はするが、親のことを信頼している人が多くいることが分かる。高校生たちは親との喧嘩を通し、本音を話し、信頼関係を築いてゆくのだ。これは親子関係でのみ、言えることではないと思う。友達との関係においても同じであり、私のサウジアラビア人やドイツ人のように喧嘩をすることで信頼することができるようになり、仲が深まるというようなことも大いにあり得るのだ。

    確かに世の中には喧嘩をすることで仲がかえって良くなるというケースばかりではない。しかし喧嘩別れを恐れ、喧嘩をしなければ本当の友情や信頼関係は築くことができないように感じる。日本以外の喧嘩に対する見解を知っている私は将来、喧嘩を重いものとしてとらえるだけでなく、仲良くなる道具としてきちんと使いこなせる人になりたい。