他者のために

   高2 あえたき(aetaki)  2026年9月4日

 戦後、日本は戦勝国からの援助や、朝鮮戦争、ベトナム戦争の特需により復興し、その科学技術もそれに応えるように発展してきた。しかし、その科学技術は自国に向けられることが多い。現在でも他者のために貢献しようという意識が発達していないのは問題である。

第一の原因として、物事を自分ごとのように捉えられない国民性にある。わたしたち日本人は今、いつでも好きなものが買え、好きなものが食べられ、衣食住に困らない、そんな生活をしている人が多いだろう。一方、ニュースや新聞を除けば、長期化するウクライナ戦争や、ことが並行状態にあるイスラエルとパレスチナの戦争、また、つい先日起こったネパールの土石流のことなどが報じられている。しかし、そのニュースや新聞を見て、「大変だなぁ」、「かわいそうに」などと思う一方で、どこか他人事のように感じてしまう自分がいる。それはきっと日本にいる自分が適切な温度管理がなされている家で、ダラダラとしながらそのニュースを見て、自分にそれが起こったらどうかということを考えられていないからだろう。私のように、自国がなんてことないから自分ごとに捉えられない、というような人は多くいるはずだ。どこか他人事に思っているからこそ、「他者のために動こう」ということを考えづらいのだと思う。このように、物事を自分ごとに捉えられない国民性は問題の原因の一つだろう。

第二の原因として社会のボランティア意識の低さと、思いやりの心の持続性の低さが挙げられる。日本人は内と外を区別したがる傾向にあるように思う。内は自分の中のいい人や身内、外は他人である。内側の人にはとても優しく、困ったことがあれば手を差し伸べるが、外側には無関心で手を差し伸べることが少ないのである。「世界人助け指数二〇二四」というのを見てみると、百四十二カ国中、百四十一位、つまりワースト二位である。そうした社会へのボランティアへの参加の意識の低さが現れているだろう。また、ニュースや新聞を見れば世界の災害や日本における災害が報道されていることがある。もともと日本は自然災害の多い国である、そういったことへの思いやりは持っているはずだ。しかし、その気持ちはその災害などが起こった際に一時的に盛り上がるだけで、あまり持続することはない。これは、報道機関による報道の仕方が大きく関係してくるだろう。災害や戦争が起これば、ニュースなどが大々的に報じる一方、一週間ももてば長い方だろう、次々とニュースの話題が移り変わり、その時に感じていた気落ちも薄れていく。こうしたボランティア意識の低さや、思いやりの心の持続性の低さが問題の原因の一つになっているだろう。

確かに、他者の利益ばかりを考えて自分のことが疎かになってしまっては良くない。しかし「幸福とは、己のみの利益にだけ存在するのではなく、他者の利益にも潜んでいるものである。」という名言のように、自分の利益のみが幸福であるという考えに囚われるのではなく、他者が幸福であることもまた、自分の幸福につながることを私たちは知るべきである。目先の幸福ばかりを追いかけていると、いつの間にか自分の周囲のには何も残っていない、なんてことがあるかもしれない。このように、現代の他者ために貢献しようという意識が発達していのは問題である。私も積極的に困っている人を助けるなど身近なところから始めたい。