思い遣り

   中3 あおらえ(aorae)  2026年10月2日

  幼稚園では歌と遊戯ばかりだが、小学校に上がるとそれらは授業から外されてしまう。歌や遊戯で生きることが楽しいという経験によって、死なないでいる自分を肯定できる。つまり、楽しさを体験するためにある。そして、子ども教育において第一にすべきことは道徳を教えることではなく人生が楽しいことを体に覚えこませることだ。社会において規則が成り立つのは皆がそれに従うだろうという相互の期待や信頼があるからだ。歌や遊戯は皆で一緒に動き、動かすことによって他人の体に起こっていることを生き生きと感じる繰り返しの練習の一例である。身体に想像力を備えさせることで、共存の条件となる他人を思いやる気持ちを育んできた。だから、私は思いやりの心をもって生きていきたい。

 第一の方法として、コミュニケーション能力を高めることが挙げられる。この場合、コミュニケーション能力は単に話す能力ではなく、相手の意図を読み取り、自分の考えを伝え、相手と相互の理解をできる力のことを指す。この力が問われるのは、いくら思いやりの心が強くともそれを適切な表現として出力できなければ相手には理解しているのかどうか分からないからで、そうなれば元も子もない。インターに通い始めてまだ間もないころ、まだ英語がかなり拙かったころでも周囲との会話には英語を用いる必要があった。しかし、語彙が少なくニュアンスも婉曲表現も知らなかったためかなり直接的な表現を用いていた。このため、友達を作ることが難しかった。思いやりとは、心が通じ合っていない頃は言葉で伝えなければいけないからである。

 第二の方法として、相手の立場に立って考えるということが挙げられる。手元にあった三省堂国語辞典(第八版)をひくと、思いやるとは「相手が困ったり、悲しんだりしないようにしようと思う」ことだと書いてある。つまり、必ず相手がいるのだ。米国のヘレン・ケラーという人物は視力と聴力を失いながらも家庭教師としてやってきたアン・サリバンと出会い、言葉を交わすことで周囲の人々と意志を通わせることができるようになった。サリバンはヘレンが言葉を理解できるまで様々なものの展示を繰り返し教える。その結果、ヘレンは学ぶ喜びを知り、作家として活動する酔いになった。このように、相手の立場に立って考えることが人を支える大きな力になる。

 しかし、他人を思いやろうと自分が無理をする必要はない。まして、自分が他人の犠牲となる必要はない。自分がいなければ、いくら他人を思いやろうと思ってもできないからだ。しかしながら、「この世で最も素晴らしく、そして最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできない。それは、心で感じなければならないものである。」という先述ヘレン・ケラーの言葉もあるように、思いやりは目で見えないからこそ、相手の気持ちを想像し、心で感じ取ることが重要である。これは自分を大切にすることにも通じ、この二つは矛盾するものではない。だから、私はこれからも相手の立場や気持ちを考え、理解し、思いやれるような生き方をしていきたい。