喧嘩はいいこと
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年月日
我が家では、たまに家族同士で喧嘩する事がある。とくに、父と姉。そして、反抗期真っ最中の私は、両親の一語一句にイライラが止まらない。決して仲が悪いわけではない。家族同士も仲が良いし、旅行などにも行く。一緒に時間を過ごすのは楽しいが、いつも一緒にいるような家族でもない。私は、この適度に距離を取る関係、しかし、時には喧嘩して距離を縮める関係が大事だと思う。そのため、私は、ほどよい喧嘩は良いことだと思う。
まず、一つ目に、自分らしくいるためには、時にはぶつかり合うことも必要だからだ。いくら仲が良い人でも、全ての意見が同じ人はいない。言い返すことにより、自分を守っていることもあると思う。いくら我慢をしていても、結局根本的な解決にはならない。友人関係も恋人関係も、片方が我慢している関係は決して長続きしない。いい関係を構築するためにも、相手への理解が必要だ。自分の意見を変えるのではなく、ただ相手を認めれば良い。離婚の理由(コニカ)というデータによると、一位は、自分が一方的に我慢をしていたというのが32%だ。つまり、喧嘩は避けることは結果的に破局につながるのだ。
私には、喧嘩をすることで、より親しくなれた経験がある。仲直りをした時には、喧嘩をする前よりずっと心の距離が近く感じる。他にも、相手に自分が嫌なことを知ってもらい、自分のしてほしくないことをわかってもらえる。例えば、何年も前からの親友とは、しょうもない事で、喧嘩することが多かった。例えば、ちょっとした発言だったり、機嫌が悪くて言ったことなど。だがいつしか、仲直りのハグが定番になった時、私は心の距離が近づいているのを感じていた。今では、彼女の嫌なことや、良いところをたくさん知っていて、喧嘩をしていなかったり、どちらかが我慢をしていたら、こんなにも大切な友人にはなれなかっただろう。
一方で、喧嘩をしても仲良くなれない場合もある。昨年友達と喧嘩をしたが、今仲直りをしていても、信頼をおいていない。私に対して、いつも文句を言ってきていた。たとえば、私の声が高すぎて、変だから変えた方がいいなどといった変えられないアドバイスをしてきた。ほかにも、私の、歩き方や弁当のサイズ、ありとあらゆるものにつっかかってきていた。ある時、我慢できなくなった私は、その場から離れた。喧嘩をしても分かり合えない人が居ることに気付いたのだ。距離を置いた私は、自分が自由になれたことに幸福を感じ、羽が生えたような感覚だった。その時から、私は距離を取ることを覚えた。自分を大切にしようと思えて喧嘩をしてよかったと思った。
たしかに、殴り合い、暴力や戦争などは無意味だ。しかし、時にはぶつかりあうことは必要だ。喧嘩をしたとて、いつも分かり合える訳ではなくとも、「一人の敵も持たないものは、一人の友も持たない」という名言があるように、誰かとより親しくなるためには、必要なことだ。