広がる

    ()  年月日

「シジュウカラには言葉がある。」数年前に鈴木俊貴さんが、ダーウィンが来た!で特集されたときに知ったが、実際に生でその研究について聞くと、やはりものすごい興奮が押し寄せてきた。先日、学校に動物言語学者である鈴木俊貴さんが講演に来て、実際に研究の概要について聞けた。シジュウカラには、言葉があり、文法があり、ジェスチャーもあり、言葉の教育も子に行う。言葉を扱えるのは人間だけではない。世界が一気に広がった気がした。

 自分がやりたいと思える学びを学びにくい、今の社会は問題だ。

 第一に考えられる原因は、小、中、高の授業では、探求学習(総合的な学習の時間)があるものの、それに充てられる時間が少なく、入試を前提として探求を行っている学校も多いからだ。今、高校に入って僕は、探求に多く時間を割いて学べているが、小、中で全く学べなかったというとそうではない。小学生の頃は、総合学習で、大豆の害虫や地元の祭りなどについて調べ、クラスで発表をしたのをなんとなく覚えている。問題は時間だった。やはり、普通の授業が中心となってしまうため、僕が行った大豆の害虫についても、調べて、スライドを作り、みんなに発表して終わりだった。個人的には、実際に観察したかったため、もっと続けたかったと思っていた。また、時間があったとしても、探求の目的を見失ってしまっていれば、意味がない。二〇二二年度から始まった「総合的な探求の時間」により、探求が広がったことが総合型選抜の拡大の背景にあるとされているそうだ。探求が好奇心ではなく、入試で有利に働くという目的の変換が起きている面があるのだ。僕の学校では、進学先は自由のため、探求は入試のためではなく、たくさん時間がとられている。しかし、大学進学志望の友達と話している中で、「俺らが探求で頑張っても、入試のための探求しよる人には勝てん。」といった声や、「一般では100無理だから終わりだー」などという声も多い。探求学習は何のためにあるのか、初心にかえらなければならないと思う。

 第二に考えられる原因は、すぐ利益がみえる研究が注目されるからだ。研究費には二種類あり、一つは基盤的経費もう一つは競争で獲得する資金の二つだという。二〇〇八年に基盤的経費が大幅に削減されたため、研究がしにくくなったそうだ。結果的に論文も減ったというデータもある。「雨だれ石を穿つ」というが、実際は雨だれだけでは石を穿つことはできない。雨だれと砂塵が石を穿つ。よって、研究をするにも、どれだけのひらめきや努力があろうとも、経費がなければ研究することは難しい。だから、競争にさせることで、すぐに利益を得られる研究を優遇するというやり方は、僕は間違っていると思う。研究は、どう利益になるかよりも、世界について新しく一つ知ることができたというだけで大きな成果だ。そして、それはいつか必ず何か別のものにつながると思う。シジュウカラに言語があるのが分かったことは、日本の何か直接的な利益になるかと言われればならないだろう。しかし、動物にも言語があることがわかり、視野が広がった。そして、いつか人間と動物が語り合える日が来るかもしれない。それがわかるだけでも僕は大きな利益だと思う。

 たしかに、学校で習うような基礎知識を身に着けることは大切だ。しかし、学びとは他方から押し付けられて真に身につくものではなく、自分の経験や思いが強ければ強いほど、身につき、充実していくものだ。そして、学ぶことで人は世界をより鮮明にみることができる。だから、自分がやりたいと思える学びを学びにくい、今の社会は問題だ。