真実を告げる覚悟

   小5 あやか(ayanaka)  2026年10月2日

言葉の生活には、時々言いにくいことばが現れて、私たちの言葉を濁らせたり、曇らせたり、歪ませたりする。それはこういう言葉は、自分の失敗や、無力さを、自ら認める自己否定の言葉だからである。また、人間としての真実が現れる時、いい難いことばも征服される。そういう真実になってものを言う時その言葉はよく相手に通じるだけでなく、言葉の響きも姿もスッキリしてくるのである。この話を読んで、私も謝りたいけど、謝れない時があるなと思い出した。人間は、自分のことを否定するのが、苦手な生き物である。

 私は小学校で話をずらしたことがある。私の友達が授業と授業の間の五分休憩の時に廊下を走って遊んでいたので、私が注意して

「そろそろやめたら」

と言ったとほぼ同時に担任の先生が来た。友達は席が近かったので、すぐ席に戻り、私だけポツンと立っていた。私だけが、先生に

「なんで立っているの?」

と聞かれ、まずいと思った。友達が悪いことをしていたから注意していたと言おうとしたが、友達に何か後でされたら嫌だと思ったので、言えずに

「ゴミを捨てにきました」

 といいわけをし、その場で鼻を噛んで捨てた。人間は何かだめなことをしていたら、その場を取り繕って、その場から逃げてしまいがちである。

 私は小学校の宿題の音読をしてない時がある。私の学校で毎日のように音読が出されているが、私はおんなじ文章を何回も読み続けるものなのはあまり好きではない。そこで私はお母さんに協力してもらってサインとハンコを書いてもらいすんなり終わったことになっている。たまにそれさえ忘れて学校に行ってしまうことがある。その時は、まるで目の前が暗くなったかのような気持ちになる。その時はちゃんと正直に言う時もあるが、私はピンピンの鉛筆で、サインをして、母が書いたようにすることがある。人間は、やっぱりなかなか正直にはなれないと思った。

 母は会社で使っている機械を壊しかけたことがあるそうだ。母は、その機械の部品を正しくはめないで使ってしまったので、壊れかけてしまったそうだ。装置の責任者の人に恐る恐る「すみません。やってしまいました。」正直に言ったところ、装置の責任者の人は怒らずに許してくれたそうだ。結局その機械は壊れていなかったので、母はたいそう、ほっとしてお金を出して修理しなくて済んだそうだ。母はちゃんと正直に言ったので、怒られずに済んだ。やはりピンチの時は正直に言ったほうがいい。

 正直は一生の宝ということわざがあるように、何かピンチの時があったとしても、正直に言うことで相手が許してくれることもあるので、何事も正直に言うと言う事はとても大切なんだなと実感した。晴れ渡った秋の空は、まるで嘘をつかない正直な心のようだ。