発見行きの不思議列車

   中1 たくみ(nomutaku)  2026年10月2日

 子供の世界は「ふしぎ」に満ちている。小さい子供は、「なぜ」を連発して、大人にしかられたりする。子供の「ふしぎ」に対して、大人は時に簡単に答えられるけれど、一緒になって、「ふしぎだな。」とやっていると、自分の生活がそれまでより豊かになったり、面白くなったりする。セミの鳴き声を母を読んでいるのだといった坊やは、科学的説明としては間違っていたかもしれないが、その時のその坊やの「世界」とのかかわりを示す物として、最も適当な物語を見出したという事ができる。不思議に思うことは大切だ。

 第一の理由としては、不思議に感じることで、様々な新発見が生まれるからだ。例えば、僕は、おもちゃなどの仕組みが不思議になったりする。そんな時、たまに分解したり、中の仕組みを外から見て分析したりしている。例えば、ヨーヨーの仕組みは、ひもが内側に巻いてあり、紐をもって手を離すと、回転しながら落下し、引き上げると、回転しながら上昇して、その動作の繰り返しだ。様々なものの仕組みをインターネットで検索したり、親などに質問したり、実際に分解したりして分析する。そうすると、最近までは未知だった、様々な構造だったりがよくわかったり、「そうだったのか」となったりする。これが本当に面白くて、不思議に思うという事はとても素晴らしいことなのではないかと僕は思う。実際に、科学分野でも不思議から発見に直結したことがあるので、不思議に思うことを大切にしてほしい。そうすれば、まるで難問が解けたようなすっきりしたような気持ちになるだろう。

 第二の理由としては、不思議という感情がないと、毎日が平凡すぎて楽しくなくなってしまうからだ。不思議というものは、刺激になる。つまり、不思議に思うことで、毎日がとても楽しくなり、理科の授業なんかでは実験だけでなく、全般的に授業がはかどるようになる。さらに、不思議というものは無限大だ。前述のように、不思議を発見につなげるという事も楽しい。面白い発見のためには、不思議が直結しているというのが妥当だろうか。科学分野だけに限らず、すべての分野において、不思議が欠かせなくなってくる。文学だって、この文章はどういう意図で書かれているのか、筆者・作者がどのようなことを考えて書き下ろしているのかが不思議になって考えたりする。不思議というのも立派な学問だ。不思議に思うことで、趣味だって生まれたりする。どんな感覚なのか不思議だったり、これが怖いのかなどが気になったりする。つまり、不思議があるからこそ毎日を生き抜いていけるのだ。

 たしかに、不思議に思うばかりでは成長しないという人もいるかもしれない。しかし、何度も言うが、不思議は学習の楽しみだったり、発見につながっている。「目に見えるすべてのものを不思議に思い、思考していくことで未来は必ず開ける」という名言があるように、不思議に思い、考えていくうちに、「発見」という未来が見える。毎日は不思議の連続であり、不思議に思わずなんとも思わなければ、発見もない。大体適当な人になってしまう。そのため、やっぱり不思議と思うことも素晴らしいのだ。不思議を大切に生きていこう。