幸福の形について

    ()  年月日

 人間は皆それぞれの幸福の形があることを理解し、自分にとっての幸福を追い求めていくべきだ。

 そのための方法として、まず他人と自分とを比較しすぎないことだ。

 私の近くに3人の友人がいる。それぞれ姉がいる妹、妹がいる姉、一人っ子、である。私自身は妹がいる姉であり、もう記憶にないくらい昔からそれは当たり前のことだった。ゆえに人生のロールモデルにもなり得る年上のきょうだいをもつ友達や、両親、親戚からの愛情を独占できる一人っ子の友達のことが羨ましくなかったと言えば嘘になるだろう。しかし驚いたことに、私が羨んでいたその友達と話すと、彼女もまた年下のきょうだいが羨ましかったという。価値観は人ごとに違う環境の中で形成されていくものだから、自分とは違う人間の価値観に触れることができ新鮮な感覚であった。これはきょうだいの話に限らない。「深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いているのだ」ではないが、自分が相手の持つ何かを羨んでいるとき、相手もまた自分の持つ何かを羨んでいることもある。他人は他人と割り切って、自分の人生を楽しむことも大切である。

 また、それに関連し、今ある幸せに目を向けることも重要である。

 S N Sを見るとよく、全く知らない人たちのキラキラした日常が流れてくる。私自身、別段そのようなスタンスの投稿を好んで見ているわけではないが、続けて見てしまうと、少し息が詰まったようになる。こういう人生が正解で、こういう人間にならなければならないのだと言われている気分になる。大掛かりなものでなくてもいいから、近所を散歩して、キンモクセイがいい香りとか、道端に花が咲いていてきれいだとか、そう言った感じの幸せを見つけていきたい。

 よく、何かに向かって努力する時など、「現実を見ろ」と言われることがある。しかしその自責によって精神に異常をきたしたり、必要以上の重荷になってしまうこともある。包括的な自分自身の幸福のためなら、見たくないものは見ないようにするということだって、自分を大切にする立派な努力の一つなのである。

 「幸福とは迷宮の出口ではなく、出口を必要としない場所に名前をつけただけのものである」という言葉もあるように、身の回りにある幸福に気づき、自分にとっての幸せな人生を送りたい。