世界中どこに行ってもを読んで

   小6 あかたよ(akatayo)  2026年9月4日

 世界じゅう、どこに行ってもを読んで

世界中、どこに行っても日本人の旅行者たちは、身の回りに「日本」をもって動き回る。それをわたしは「文化的カプセル」と名付ける。日本人は日本文化を微分化した小さなカプセルの中に入って安心している。文化の被膜の中から、ほとんど足を踏み出そうとしない。ハワイでの日本人歓迎計画「家庭訪問」プログラムに、日本人は関心を示さず、完全に失敗した。

ぼくにも似た話がある。それは修学旅行の班決めの時のことだ。班決めの様子を見ていると、仲の良い友達同士で集まろうとする人たちが多かった。もちろん、気の合う友達と同じ班になりたいと思うのは自然なことだ。しかし普段あまり話さない人と組むことを避けているようにも見えた。また、普段のクラスでグループを決める時、男子の中には女子と組みたがらない人が多い。ぼくは女子と組むのは抵抗ないので、なぜそこまで嫌がるのか不思議に思った。相手が女子だからと言うより、いつもの仲間から離れることに不安があるのかもしれない。そう考えると、まさに文化的カプセルは、遠い外国だけの話ではない。教室の中にも、目に見えない小さなカプセルがあるのではないかと思った。

そもそも、なぜ人は仲のいい人同士で集まろうとするのだろうか。確かに、気の合う仲間と一緒に居ることは、温かい毛布にくるまっているように安心できる。冗談を言っても通じるし、何を話そうかと悩む必要もない。一方で、あまり話したことない人と一緒になると、話題が見つからなかったり、相手にどう思われるかが気になったりする。自分が浮いて嫌な思いをするかもしれないという心配もある。つまり、仲の良い人と固まるのは。相手を嫌っているとは限らず、自分を守りたい気持ちの表れなのだと思う。しかし、心地よいかと言ってそのままでいるとどうなるだろうか。はじめは話しづらいと思った相手にも、共通の趣味があるかもしれない。自分と違う考え方に驚くこともあるだろう。実際に話してみなければ、相手のことはわからない。安心を選び続けることで、知らないうちに新しい出会いの機会を逃がしてしまうのではないのだろうか。

自分の殻を破るということは、人間にとって新しい世界を知る第一歩である。「井の中の蛙大海を知らず」という諺のように、安心できる場所に閉じこもっていては、広い世界を知ることはできない。もちろん、仲の良い友達と過ごす時間も大切だ。無理にその関係を捨てる必要はない。しかし、安心できる場所があることと、そこから一歩も出ないということは違う。進学などで環境が変われば、知らない人と関わる機会も増えるだろう。その時、知っている人とばかり集まるのではなく、まず自分から声をかけてみたい。文化的カプセルを破ることは特別な事ではなく、目の前の相手に興味をもつことから始まるのだと思う。