授業の渚 nnza-06-3


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ザ 6.3週 ●このように、一七世紀から(感)

 第一段落は、状況実例と意見。「自然科学の方法論を社会科学にそのまま適応するのは問題がある。しかし、人間も社会も自然の法則のもとにあるという冷厳な事実を見なければならない。社会科学の独自性を強調するあまり、社会科学が科学ではなく道徳論に堕する可能性がある」。
 第二段落は、対策1。「そのためには、常にオープンな論議をすることだ。福祉の論議などは、タブー視されやすいが、論議を封じて建前論だけがまかり通るようになると、社会の発展は歪む。江戸時代、緊縮財政は建前として受け入れやすかったためにすぐに政策として実行されることが多かったが、そのことが社会の自由な発展を阻害したことも多い。徳政令なども、自然界の論理とはかなり異質な人間の論理であったために、かえってその後の経済発展を阻害したと言われる」。
 第三段落は、対策2。「第二には、自然科学者と社会科学者の交流である。自分の専門の分野に閉じこもっていては、大胆な発想は生まれない。日本では、学会になわばり意識が強く、他の分野からの批判は受け入れないという狭隘さがある。湯川秀樹と梅棹忠夫が自由な論議を楽しんだように、学際的な交流を可能にする制度を作る必要がある」。
 第四段落は、反対理解とまとめと自作名言。「確かに、社会科学には独自の価値観がある。それは、たとえ自然の法則に一致しなくても人間性には一致するという分野があるからである。しかし、このことを強調するあまり、自然の法則を忘れては、かえって社会の歪みを拡大するだけになるだろう。『社会科学とは、自然科学と独立した分野なのではなく、自然科学をより大きくした分野なのだと考えるべきだ』」。