書いた人は高橋陽道 on 98/09/21 16:37:21:
コメント先: ナイフ事件はよくわからないなあ posted by 森川林 on 98/02/16 22:32:36:
私は、受験勉強とナイフ事件は関係ないと思います。なぜなら、受験でストレスがたまっても、発散方法は個人の自由だからです。たとえば、受験でストレスがたまったら、ナイフで人を刺さなきゃならない。そんなバカな話ないでしょう。ナイフで人を刺す人は、言い換えればなにでストレスがたまっても人を刺すでしょう。ストレスに対する他人に害を与えない発散法を教えることは、学校の重要な役目の一つではないでしょうか。
もう亡くなられましたが、あの『夜と霧』で有名なナチスの強制収容所から生還した精神科医V.E.フランクルの次のような言葉があり、これは私の座右の銘です。
「最終的には、—人生の決定的状況においても繰り返し示されることですが—その人がどんな人間になるかは、素質にも環境にも依存しないのです。遺伝的に持って生まれたものにも、教育によって与えられたものにも依存しないのです。最終的には、すべてがその人自身にかかっているのです。すべてがその人自身の決断にゆだねられているのです。その人が下す決断は、条件や状況が許す範囲内においてではあれ、自由な決断なのです。人間は、生物学的・心理学的、社会学的状況から自由ではありえませんが、しかし、とにかく人間には、そのような条件や状況に対して、それに屈服するにせよ、あるいはそれを克服するにせよ、それらに対して態度をとる自由があるのです。そして人間は、精神の抵抗力を行使することによって、条件や状況を克服することができるのです。」『宿命を超えて、自己を超えて』春秋社 1997 p7
つまり、その人の行動は環境などに依存せず、その人がそうしたいからそうするのです。この文の中に「教育によって与えられたものにも依存しない」とあるのと、私の「ストレスに対する他人に害を与えない発散法を教えることは、学校の重要な役目の一つ」は矛盾するようですが、そうではありません。私は「教育を受けてもそれを実行するかは別の問題だ」とフランクルの文章を解釈しています。
それゆえ、多くの新聞やニュースの「受験勉強=ナイフ事件」という構図の報道は間違っていると思います。