書いた人は中久喜 on 98/09/25 18:27:37:
自分を殺す事の代用としての他人殺しというものがありうる。
そういう殺人を犯す人間の特徴として、家族との絆がしっかりとでき
ていない事が指摘できるだろう。そういう人は自分の内面が十分に
成長していない。それゆえに自分を尊重することができない。
自分を押さえなければならない凶暴性を発揮しかねない場面で、自
分の凶暴性をあえて解き放ったりする。そのとき、自分を止めようと
する人間がいたりするとその人を殺してしまう。また、自分の狂暴な
本能によって無関係な他人を殺してしまう。まるで歯止めを無くした
みたいに。
自分は人間にはその本性として凶暴性があると結論づけざるを得な
い。自分の凶暴性をコントロールする戦いに勝利しなければ、その部
分が人間を支配してしまうことがありうる。
どうやって、内なる凶暴性との戦いに勝利することができるのか。そ
れは人間同士の支えあいに他ならない。
人間関係を切り刻まれ、他人を信じられなくなったとき、自分の人格
が弱まってしまい自分の内からの凶暴性に負けてしまう。他人を信じ
られないというのは、実は自分を信じられないということの裏返しな
のだ。
他者との関係の中で守り、育てられていれば、こういう凶暴性は人格
の中に抑え込まれ、意識するのも難しくなるであろう。自分は家族の
あり方から自分の中の凶暴性を意識せざるをえない。
まとめて言えば、あくまで他人とつながることによってしか、自分をコ
ントロールしていくことができないのが人間である。
本質的には、なんて弱い存在なのだろう人間は!