懐かしい高校時代
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書いた人は●naneさん 99/10/18 15:33:14
もう既に数十年前に過ぎてしまった高校時代を振りかえると、自分の人生の中でいちばん輪郭のはっきりしていた時代のように感じます。
そこには、大学受験という細く絞られた一つの目標がありました。朝起きてから夜寝るまで四六時中一つの目標を感じて生きていく生活というものは、社会に出てからはむしろ手に入れることがまれなほど恵まれた生活だったと思います。
そして、その同じ目標を持った同じ学力の仲間たちとの交流がありました。交流といっても、楽しく談笑するような交流ではなく、「今度のテストは、あいつもがんばったな。キラリーン」というような意識の上だけのささやかな交流です。中間テストや定期テストがあると、どの教科も上位20人ぐらいの名前が貼り出されましたし、教科によっては成績順にテストを返却してくれるシビアな先生もいました(笑)。
そして、受験の科目に関係なく、自分自身の向上のためにどの教科も真剣に学ぼうという姿勢がクラスの雰囲気の中にあったように思います。私は理系だったので、中3の政経は受験には関係のない科目でしたが、いつもいちばん前の席で熱心に聞いていました。そのかわり、物理のさ○○先生の権威主義的な雰囲気が嫌いで、物理の授業中はいつも別の本を読んでいました。今考えると愚かであった。^^;
目標があって、努力に見合う評価があって、ともに戦う仲間がいて(かわいい子もいて)、日々自分自身の向上が感じられて、しかも何の雑用もなく目標に向かって専念できるというような四拍子も五拍子もそろった生活は、その後、この年になるまで二度と訪れてはいません。
高校生のころは、周りの大人の人たちをエスタブリッシュメント(既に確立している体制に属する人)だと思っていました。しかし、いま自分がそういう年齢になってみると、外見はともかく内面的には全然どこも確立していません。いまだに毎日のように、喜んだり、がっかりしたり、すべてがわかったように思ったり、やっぱり何もわかっていなかったと思ったり、浮いたり沈んだりの人生を送っています。昔と違うのは沈みすぎなくなったことぐらいです。
四十は不惑の年といいますが、実際には多くの四十代は、若いころよりもずっと多くの惑う材料を持っていると思います。だからこそ、趣味や消費やいろいろな会合に多忙な日常生活を送っているのかもしれません。そう考えると、なおのこと、迷うことなく一つの目標に収斂されていた高校時代のような生活こそが、人間の理想とする生活のように思えてくるのです。
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